今回はかなり自分の考えがかなり入ってくる考察回です。
ESFJ、ENFJの主機能であるFe(外向的感情)。これがどんなものなのかを私なりに本気で考えて答えを出していこうと思います。
というわけで、ぶっちゃけ小難しい話や偏った話もバンバンする可能性が結構濃厚です。最近MBTIなどを知ったライトユーザーの方からするとちょっと濃厚すぎるかもしれませんが、頑張って噛み砕いたつもりなので、まあ見ていってください。
ともかく、前置きはこれくらいにしてやっていきましょう。
Fe(外向的感情)とは
まずはFe(外向的感情)とは何なのかを簡単にまとめてみましょう。
MBTI
・ポジティブで好意的
・論理や分析よりも人の気持ち重視
・他者を受け入れるが媚びてると見られることも
ユング心理学
・周囲の気持ちと同化する
・愛嬌があり、人間関係の潤滑油となる
・世間や人に媚びるところがある
人の気持ちを察したり共感したりといった、世間的に言われる優しさを追求したような心理機能ですね。
おおよそ、盛り上げ役や組織全体のバッファーに向いた感じの性格の持ち主という感じでしょうか。
どちらも自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先して動ける心優しい人物。ですが同時に人に媚びてるところがあり、行きすぎると自分を見失う危険も付きまとう心理機能です。
MBTIにおけるFe(外向感情)
おおよその特徴としては、他者を暖かく受け入れて円滑な人間関係を築こうとしている感じでしょうか。
よく言えば人柄が大変よく、悪く言えばお人好し。
人間関係構築と他者への援助にエネルギーを注ぎ、それがプラスに働けば組織全体のバッファーとして君臨し、悪い方向に働けば媚びるだけの人になる危険を持っています。
基本的にネガティブなことよりもポジティブな方面に着目する人たちで、事柄に対してはもちろん個人個人に対しても同じ目をします。
人の気持ちや「こうしたい」という要望に非常に敏感で、それらに可能な限り応えるように場を整えようとする傾向があります。
要するに「1人でも多くの人を幸福にしたい」という願いと密接に関わる機能であり、実際にそれを果たそうとする人たちの機能でもあるという感じですね。
「みんな仲間」「百万一心」をモットーにするタイプとも言え、できる限り仲間外れやいじめの標的を減らすように心がけるタイプでもあります。
一方で自分にとって大事な人や集団に対してはいい面ばかりに注目しすぎるあまり、短所やネガティブな一面を見ることが難しいところがある人たちでもあります。
人間関係構築や組織内の「政治」には強い人たちですがその分批判精神を欠き、むしろ批判を「罵詈雑言」と捉える人すらいるのがこれを主機能に持つ人の困った点ですね。
要するに客観視することが難しい人たちということですね。……ふっ(笑)
簡単にではありますが、以下にFeについてまとめています。よろしければ、そちらも合わせてご覧くださいませ。
ユング心理学におけるFe(外向的感情)
感情が外向き、つまり人との触れ合いに適した心理機能。ここに関してはMBTIと大差ありません。まあMBTI自体ユング心理学を元にしたものなので当然と言えば当然ですが……。
ともあれ、この機能を持つ人は人間関係において潤滑油の役割を果たすことが多いです。
おおよそ特徴としては以下の通りですね。
・人が欲しいものや喜ばれる言葉などを察する
・感情や想いを集団と同化させる
・大多数にとっていいものはこの人にとってもいいもの
・時として世間に媚びるだけの主体性0の人間になることも
まずこのタイプの人たちは、自分の気持ちに正直に生きています。ですがその気持ちは、多くは世間や周囲の人々と同化した曖昧なもの。そこにあるものは、自分の気持ちだけではありません。
要するに「みんなが好きだから好き」とか「みんなが嫌いだから嫌い」ということを無自覚にやっていることが多い人なのです。
そのため流行をひたすら追いかける人になったり、周囲の望む言葉を選び出してかける人になったりすることがあります。
こう聞くと主体性がなく軽薄な人に見えるかもしれませんが、実際、こういった人は集団内では不可欠な存在となります。
というのも、外向的感情を欠いた集団は、言ってしまえばカウンセラーやバッファー、潤滑油がどこにもいないようなもの。団結力も士気も上がらず、ちょっとしたことで崩壊してしまう危険があります。
また、このタイプは共感力も高い人が多いので、困った人にとってはいい相談役・愚痴聞き役になります。
とはいえ、やはり主体性のなさが目立つ場面も中にはあります。
というのも彼らがやっているのは、あくまで世間や集団に合わせて意思決定をしているような行いばかり。そこに自分の気持ちもなければ、場合によっては論理的・合理的な判断もありません。
要するに媚びですね。はっきり言えば、無自覚に人や周囲に媚びています。
そのため場合によってはただ集団の意思決定を代行するだけの浅はかな人間に成り下がったり、反動で劣等Ti(内向的思考)が浮き上がってきてニヒリズムに目覚めたりすることがあります。
「人生は所詮無意味なものに過ぎない」とか、唐突に死んだ目をして言い始めるわけですね
この辺は追い追い、極力私情を排した形でまとめていければと……。
個人的に思うFe(外向的感情)
さて、ここまでは教科書の要約です。幾分主観が混じったかもしれませんが、私なりに書籍から情報をただ引っ張ってきただけのものになります。
で、ここからが本題。結局Feとは、外向的感情とは何なのか。そこのところを、私の主観や私見マシマシで思いつく限り語っていきたい所存です。
というわけで、以下色々と考えていきたいと思います。
自分<他人
Feについて語るなら、まずはこれを入れておきたいところですね。
このタイプはとにかく自分よりも他人に目が向きます。これはMBTIでもその原型のユング心理学でも同じです。
何をするにもまず他人の動向に注目し、それに合わせて自分の行動を変えていく感じですね。
変える先が受容か同化かで分かれるところではありますが、自分の気持ちよりも他人の気持ちにまず注目する機能と言えます。
特にユング心理学では、他人の気持ちに自分の気持ちを同化させ、「周囲が好きなものは自分も好き」と徹底的に周囲に合わせる姿勢をとることが指摘されている機能です。
MBTIではいじめとか断固拒否して優しく接しそうなものですが、ユング心理学に基づくと最悪「みんなが嫌いなら私もあいつは嫌い」といじめを暗に容認してしまいそうな危うさがありそうですね。
当然どちらの解釈が正しいというわけではありませんが(そもそも人間の心自体があやふやなもの)、長短あるのはどの心理機能も一緒です。
まあ実際のFJ連中を見ると、いじめに加担する様子はほぼ見られませんけどね。ほぼ嫌ってます。むしろ平和とか平穏を願うお花畑の方が……え、私なんか悪いこと言ってます?
他者の心にものすごく敏感
あかつきちゃん的には物凄く嫌いな心理機能のようですが、Feには「相手の気持ちに敏い」というこの上ない長所があります。
人が欲しいものやかけてほしい言葉がわかるため、この力がプラスに働けば間違いなく強力なバッファー、カウンセラーとして君臨します。
実際、このタイプは弱りきった人を立て直すことにかけては一流ですね。人のサポートや背中を押すことにかけて、外向的感情の右に出るタイプはいません。
実際、この能力を駆使して東奔西走していろんな人の手助けをする、愛情に満ち満ちた体力モンスターみたいな人も中にはいますね。
ちなみにこの機能が悪く働くと、その長所が一変して今度は集団や人に媚びるような姿勢を見せ始めます。
Fe使いにエニアグラムタイプ2が多いのも、ちょっと納得してしまいますね。
裏のTiが見えることも
特に疲れた時にありがちですね。普段は哲学とは関係ない純粋な善意と人の気持ちを察しての機転に生きているタイプですが、ある時突然哲学やニヒリズムに目覚めます。
例えば「この世は所詮泡沫の夢でしかない」とか、「どうせ思いなんてものは他人に性格に届くことはないし、伝えるだけ無駄だ」とか。
こんな感じで、絶望に打ちひしがれた人のように成り果ててしまうことがたまーにあるのです。
思考の世界へようこそ
かと思えば、そこそこ元気な時でも何かの弾みで覚醒することもあります。
例えば討論会に出席したり相手との口論になったり、哲学的な話になったりなど……こういう時に突如として発揮されることがあるのです。
この辺はまた後ほど語っていきますが……とにかくTiが突如冴えてくることもあるということです。
基本的に明るい人
さて、陰の部分も当然ながら持ち合わせるFe使いですが、基本的にはかなり明るい性格の持ち主が多いですね。
特にESFJなんかは社会や親に成長を阻害されにくいため、余程のことがなければ必ずと言っていいほどどこかに快活さを持ち合わせた人物になります。
というのも、基本的にネガティブなものよりポジティブなものの方が人に好まれるからです。
外向的思考は人の心を読み取る力を持っていることがほとんどなので、大概は人に対して愛想がいい優等生じみた性格に自らの姿を変えていきます。
当然その中には明るい性格も含まれるわけで、意図せず「周囲は明るい性格を望んでいる」という情報に触れ、ほぼ無意識のうちに明るく振る舞うことが癖として身につきます。
当然性格を掘り下げていくと、また違った面を見せることもあるのですが……それでも、明るく気立ての良い人物であることが多いですね。
まあ、陽キャが多いのは認めますよ。私とは対をなす存在ですね。
ただFeが補助機能になった瞬間、陰キャ率が跳ね上がります(特にINFJ)
世間の流行やニーズを掴むのが上手い
周囲と同化ないし常に動向を気にしているわけですから、世間の流行や周囲の人たちのニーズを掴むのは当然かなり上手いです。
人気稼業とか芸能人、ショービジネスなんかは結構得意な方なのではないでしょうか?
Feと聞いて大多数が真っ先に思い浮かぶ特徴は共感力ですが、こういう「空気を読む」「周囲が好むものを取り入れる」という特徴も当然のように発揮してきます。
「みんなが好むことを好む」ということは「周囲の好みを掴むのが上手い」ということ。
周囲の共感や「面白い」をさも息をするかのように引き出し、巧みに表現して人々を沸かせる。そんな芸当をこなす人も中にはいます。
]道徳的な善人が多い
あくまで「多い」であって全員でない点は大事ですが(どのタイプにもどうしようもないのはいる)、基本的に道徳規範にはしっかり従ったり、そもそも善良でいい人属性を持った人物が多いタイプでもありますね。
その理由は、自分がそうあることが世間に少なからず求められているから。はい、ここでも世間です。
ですが、「世間が求めているから(無自覚ながら)やる」という行いだけあって、そこによこしまな二心や利害損得はほぼありません。
わずかにはあるんですね……
人間である以上「ちょっとお礼が欲しいな」とか「これを恩義に感じてくれればな」くらいの気持ちはどうしてもありますが、基本的に善行を働く際の行動原理は善意です。
ただ「それが望まれているから」「そうあることが人として望ましいから」という理由で善人になれるのがこのタイプというわけですね。
まあ「善意が何の成果につながるんだ」と言われればそれまでですが……善意の消えた世界は生きにくいものになるはずです。こういう人の存在はなんだかんだ必要だと思いますよ。
「政治」が上手い
ちょっと黒い部分もお話ししましょう。外向的感情、とにかく人間関係における「政治」が上手いです。
人が欲しいものがわかるということは、それだけ取り巻きを作る力やファンを作っていくのが上手いということ。このタイプが本気になれば、無から自分の信者を作るのもそう難しいことではありません。
はっきり言いましょう。どんなクズでも、どれだけ自分勝手な人でも、どれだけ危険な思想を持った奴でも、本気を出せば自分を中心・神とした一種の宗教組織を作り上げることが可能なのです。
歴史上でも現代でもたまにいますよね。熱狂的なファンや信者に囲まれた危険なFe使い
人が欲しいものを与え、人がかけてほしい言葉をかけ、そうやって人を心酔させ、自分の仲間や味方に引き入れる。これはFe使いならば少なからずやっていることです。
これを悪い奴やどうしようもない奴が悪用すれば……結果は悲惨なことになるはずです。
自分を自覚しづらい
自分の気に入った人や組織と同化する、ないしそういった関係を何より優先するということは、それだけ自分のことが後回しになりやすいことを意味しています。
後回しになりやすいということは、それだけ自分のことを自覚しづらいということを意味します。
Fe使いは、大概自分のことを後回しにして人のニーズを優先します。なぜなら、それが自分のニーズだと思っている場合が多いから。
そのため、自分のことをしっかりと自覚し、自分のために動ける人は思った以上に少なくなります。
特にENFJなんかは、心因性の体調不良になりやすいと聞きます。それだけ、自分の心を押しつぶしてでも他人に尽くしていることを意味しているのです。
自分の気持ちを知り、そしてセルフケアをしっかりと行うこと。それがFe使いの鬼門であり、健全化に向けての大きな一歩とも言えるでしょう。
世間や人に媚びる一面も
何度か書きましたが、このタイプには特有の「媚び」とも言える行動が見られることがあります。
特にこれは、あまりにFeに頼り過ぎると多く見られますね。
例えば周囲に思いっきり同調したような意見を言ったり、言ってほしい言葉だけを抽出して相手にぶつけてみたり、自分の気持ちでなく相手の気持ちばかりを代弁したりなど……。
総じて外向的感情は、自分というものも主体性もなく浅はかで薄っぺらな人間になってしまうリスクを常に背負っているわけですね。
当然その周囲を慮る優しさと共感力は大きな魅力ですが、魅力が大きいだけに落とし穴も大きくなってしまいがちです。
優しさとただの同調は別物です。そんなことは外向的思考もわかってます。
ただ、無自覚無意識にやっちゃうんでしょうね。だからこそ厄介な欠点たり得るのです。
集団が避けるようなものを見るのが苦手
周囲がのニーズに自分を無自覚に合わせる。ということは、周囲が嫌うことも無自覚に嫌うかそもそも気付けなくなる傾向があります。
例えばその人の短所、不和の兆候、実際に生じた人間関係の対立、いじめなどですね。
特に致命的なのが、自分にとって不快な事実に気付けない点でしょう。これによって、知らずのうちにフラストレーションを溜めていき、どこかで爆発する要因になります。
ともあれ、このタイプは多くが自分の感情を理解できませんし、ネガティブな要素も理解しません。特に自分の負の感情など、気付こうともしないでしょう。
そして万一それらに気付いてしまうと……まずもって、感情が暴発することでしょう。
突然ヒステリックになったり、パニックになって暴走を始めたり、どんな手を使ってでも不快な存在をどこかに追いやろうとしたりなど……。
何度でも言いますが、魅力的な長所はそれだけ大きな短所を併せ持つことにもなります。
外向的感情さんの中にも心の闇はしっかりとあって、ただ自覚できないように何重にも鍵をかけ、見ないようにしているだけなのです。
その中に不都合な事実も含まれているわけですね
外向的感情に自分の感情はないのか
周囲の感情と同化したり優先したりする外向的感情ですが、ここでひとつ疑問が生じます。
彼らには自分の感情や考えがあるのだろうか?
結論から言えば、当然ながら存在します。ただ抑圧しているだけで、自分の気持ちや考えそのものはどこかにあります。
特にTi。これがFe使いの独自の意見や思いの大半を占めます。
Tiが刺激された外向的感情は「はしたないことをした」という感情と同時に、どこかスッキリしたり自分の新しい側面に気づいた喜びを覚えるとか。
とすれば、これらこそがFeの裏にある本音に近い部分なのではないでしょうか?
本当は思うところがあっても自覚できない。それが優れた共感性や優しさの出どころになると同時に、外向的感情の弱点になります。
そういや、たまにめちゃくちゃ気が強いExFJとかいますよね。ああいう人たちは結構本音に生きてる?マジで?
割といる気の強いExFJ
さて、そうは言っても結構いるんですよね、自己主張が強い外向的感情タイプ。彼らがどういう存在なのかをちょっと考えてみましょう。
まずこういった人たちはおおよそ3種類に分けられると思います。
・常識的な人であり、人にもそれを求める人
・Ni由来の強烈な信念の持ち主
・裏のTiがかなり発達した人
まず常識を人に対しても求める人。これはいわゆるESFJに多い人たちですね。
世間一般が求める常識や良いとされるもの、例えば「喧嘩しないでみんな仲良く」とか「ネガティブは周囲を不安にさせるからNG」とか、そういったものを自分も守り、他人にも求めます。
だからこそ気が強くなりやすく、道徳秩序のためならば思い切った行動をとります。
また、ENFJも同様に気が強い人も結構多いですね。
自分の中に確固たる信念を持っているため、共感力を発揮し普段は主体性を欠いても、ある時急に驚くほど頑固になったりします。
この信念に殉じるという姿勢がESFJ同様時として独善や周囲への押し付けにつながることもあり、こういった姿を見せるとほぼほぼENTJみたいに見えることもあるかもしれません。
最後に、Tiが異常発達した人。これは劣等にあるはずのTiをかなり使いまくって、自分の中でかなり大きなウェイトを占めるようになった人ですね。
これもまた信念が強固で、ESFJ、ENFJ共に断固として譲らない強烈さを見せます。
というのも自分の考えにある程度の自信を持ち、考え抜いた先にある答えを一途に信じ抜きます。
こんな感じで、優しく柔軟な人が多い一方で結構頑固な人もいるんですよね。なかなかに興味深い機能です。
知覚機能と結びついた主機能Fe
続けては、知覚機能(Si,Ni)と結びついたFeについて考えてみましょう。
Si(内向的感覚)と結びついたFe
この場合は、いわゆるESFJですね。
Siは物事をひとまず額面通りに受け止め、その上で自分の中で咀嚼する機能です。
これが加わることで、このタイプは色々な人の事情や置かれた状況を察することができる人になります。
そのためまず多くの場合、性格は非常に世話焼き。また同時に、人との関わりを最も求めるタイプとなります。
人との関わりを求める理由は世話焼きゆえの人恋しさでしょうかね。世話を焼く対象がいないと持ち味である世話焼き属性が発揮できません。Feゆえの周囲との同化もあって自己完結が難しく、ある意味人がいないと始まらない人になりやすいかもしれません。
……知らんけど
基本的に社会でよしとされているものに忠実で、道徳や規範をしっかり守る規律の人。同時に規律を守らない人に対しては思うところがありながらも、なんだかんだ更生の機会を与えようとする一面があります。
一方で信用できない人、生理的に無理な人、全く更生する気のない人などに対しては断固たる姿勢で望み、関係をスパッと切り、場合によっては敵対も辞さないともろがあります。
このタイプにとって社会にとっていいものはよく、社会にとって悪いものは悪いと感じていると見て間違いないでしょう。
そんな社会的道徳規範の人であり周囲の人たちには優しく振る舞う良き女房役ですが、いっぽうで人に世話を焼きすぎてお節介の域に達することがしばしばあります。
気持ちが先走りやすく、自分の善意や正義を押し付けやすい点があり、そこは注意が必要ですね。
Ni(内向的直観)と結びついたFe
いわゆるENFJですね。
Ni(内向的直観)、言うなれば自分の心の奥底から湧き出る何かと結びつくことで、ESFJと比べて夢見がち、かつ能弁で会話力に優れた人物になるでしょう。
アイデアが豊富で次々と話のタネや表現方法を思いつき、時に優れた話術を用いて人を心酔させることもあります。
要するにめちゃくちゃ話が上手い奴ということですね。理解されづらい性格や思考回路から、世間に必要以上に揉まれて陰キャもしばしば排出しますが、それでも素養はしっかり備わってます。
一方でその夢見がちな性格からロマンチックなところがあり、例えば特定の相手を理想化してみたり、t恋愛ではステータスを除外視してみたりと結構ウブなところがあります。
基本的に優しい人で、人に興味を持ち、人の気持ちや本音を読み取る読心の鬼。それゆえに相手が望む言葉もあっさりと見抜いて口にするところがあります。
そして何よりENFJを語る上で避けて通れないのが、その理想主義ゆえの芯の硬さ。
理想こそ世間や人々に求められたがゆえに生じたものかもしれませんが、理想主義者と称されるNF型に組み込まれているだけあって、その掲げた理想に真摯に取り組みます。
どういうわけか、Niが優位な人たちって理想や信念を強く持つ人になりがちなんですよね。Niを通じて何を見たのやら……。私にはちょっと真似できそうにありません
総じて言えば、心優しく人の心を魅了する、求められて立った理想主義者。その理想が大きなものであれ小さなものであれ、ENFJは本気で追い求めるでしょう。
Ti(内向的思考)との結びつき
Feを主機能に持つということは、必然的に対極のTiが劣等機能にあるということを意味します。
これは他タイプの劣等機能よろしく、基本的には表に出てきません。完全に抑圧されています。
そのため、通常のFe使いは理論的な話や理屈っぽい話は大嫌い。それよりももうちょっと俗っぽくわかりやすく、周囲が求めているものに興味を持ちます。
エニアグラムやMBTIなどを学ぶにしても、基本的には浅く表面の特徴などをなぞる程度。根源的欲とか根源的恐れとか、あるいは心理機能をガチってる当記事のようなものには興味を示さないか、読むこと自体一定の苦痛を生じるでしょう。
ですが、それらはあくまで抑圧されたもの。自分たちの主力武器である共感力Feをどれだけ強固に使用してもダメだった場合(例えば使いすぎて周りが引いた場合)、途端にニヒリズムに目覚めることがあります。
要するに、「どうせ何をやっても死ねば意味がない」「人生のあらゆる努力は砂上の楼閣に等しい」といった具合に、急に哲学的なことを言う、あるいは思い始めます。
その多くは、自分がそれまで価値を重じていたものへのアンチテーゼ。例えばそれまで家族に愛情を注いでいれば、「血のつながりしか接点のない他人になぜ尽くすのか」とか思い始めるわけです。
あるいは議論の場において唐突に覚醒することもあります。例えばそれまで和やかだった会議が突如として意見白熱する論戦に発展したとして、そういう場面において急に頭が冴えてくることがあるのです。
Feをより効率的に活かすには
最後に、Feをより効率的に活かす方法を私なりに考えてみたいと思います。
おおよそ、思いつくのは以下の通りですね。
・自分の本音に気づく
・特有の「媚び」に気づく
・反対意見は敵対ではないと知る
・批判に非難で返さない
・誹謗中傷は割り切るのが吉
なんだか辛口っぽくなってしまった気がしますが……まあ書いてしまったものは仕方ありません。
そもそもこういったものを自覚できないケースが多いのがFeの弱点ですが、まあとりあえず聞いてください。
自分の本音に気づく
わかってます。自分なりの意見を持っているつもりでしょう。ですが、その意見は自分でなく周囲の意見を反映したものがほとんどのはず。
まず、自分がどれほど多数派に投票しているかを客体から見返してみましょう。そういうケース、結構あるはずです。
あるいは相手が望むものを自分が望むものだと思ってしまうこともしばしばあるはず。
ここはひとつ、一度じっくりと腰を据えて、誰の意見もないところで自分の意見をまとめてみましょう。要するにTiの有効活用ですね。
最も有効な手段は、思ったこと、感じたことを紙に書いてみる手法でしょうか。時折、多数派とは関係ないことが描かれることがあるはず。それが本音です。
仮に全部多数派の意見や誰かが欲しがっているものばかりでも、それはそれで見えてくるものがあるはず。
カウンセリングとかでも王道の手法ですね
自分の本音を大事にすること。そもそも自分の本音に気づくこと。これらがFe使いにとっては重要な事柄になります。
特に疲れたと感じた時、ちょっと虚無感が襲ってきたときなんかはこの手法はかなり有効になります。
ちょっと不健全入りかけてるような気がしますが……そういう時の方がかえって自分の本音を掘り下げる好機にもなりますよ。
特有の「媚び」に気づく
意外とやってしまいがちなのが、多くの人の気持ちに寄り添いすぎて一種の媚びみたいになってしまっている……といった状況に陥ること。
当然、その優しさは罪ではありません。むしろ立派な長所です。十分に胸を張って、誇るべきものでしょう。
ですが、それも行きすぎれば周囲の人々が逆に快く思わないという、なんともよろしくない結果になってしまうことがあります。
そういった結末を避けるためにも、まずは自分がいかに周囲に対して気を遣いすぎているかを知るのは大事なことです。
何事も行きすぎてしまえば良い結果を生みません。
そもそも人は他人のために生まれてきたわけではありませんし、時にはわがままになってみることも必要ですよ。
反対意見は敵対でないと知る
どんな意見においても、時に反対意見はあります。これは、例え仲がいい人でも同じです。
自分の意見、提案、そして類型に限って言えば自認タイプ……それらに対して疑問を呈する人は、必ずしも敵対的な意志を持っているとは限りません。
ですが、Fe使いはついつい反対意見=敵対と捉えてしまいやすいのが玉に瑕ですね。
ある意味日本の系譜に近いですね。まあ日本はISFJ文化とか言われてるそうですけど
「嫌いだから反対意見を言う」。確かにそういう人もいるでしょう。
ですが、その多くは決して悪意があって反対意見を唱えているわけではありません。ましてや敵対しようなどと思っているわけでもないこともあるでしょう。
一度客観的に考え直し、本当に嫌って反対意見を述べているのか、それともしっかり理路整然と意見を述べているだけなのかを冷静に把握すると、意外と敵が減るかもしれませんよ。
批判に非難で返さない
売り言葉に買い言葉という慣用句があります。
どうにも外向的感情にとって批判をぶつけるという行いは喧嘩を売っているように見えることがあるようで……しばしば批判した相手にひたすら反対意見を唱えたり、直接非難することがたまにあります。
世の中にはただ批判精神を持っていて、悪気なく何でも批判してアップグレードを図る人がいます。
ところが外向的感情を持った人はそれらを敵対行為と受け取ってしまいがち。批判に対して敏感なわけですね。
批判は傷つくことも多いですしついつい敵対行為に見えてしまうかもしれませんが、必ずしも悪いものと決まったわけではありません。時には受け入れたほうが結果的によくなることもあります。
こういう批判は特に感情を入れず、淡々と聞くようにしてください。その上でどうしても悪意を感じた時だけ敵対行動と受け取ればいいのです。
ちょっと批判的な内容が出てきてついつい気になる気持ちもわかりますが、そこはぐっと堪えてしっかり有用かどうかのフィルターにかけてみてください。意外といいこと言ってるケースもあります。
誹謗中傷は割り切るのが吉
批判や反対意見をフィルターに通しても、どうしても誹謗中傷や悪意のある意見は出てきます。
そういう意見が出ること自体、外向的感情にとって非常に傷つくもの。非常に敵対的になるか意気消沈してしまうかは人によりますが、とにかく気にする人は結構多いです。
ですが、悪意を持つ人が出てくるのはある意味仕方のないことです。なぜなら悪意の塊みたいな人やついつい鬱憤を晴らしたくて他人に八つ当たりする幼い人も世の中には結構いるから。
そういう人間をいちいち気にするのは、正直言って時間がもったいないです。
人の時間は有限です。外向的感情の魅力がわからない、それどころか劣ったものだと決めつけて攻撃してくる馬鹿な連中など放っておけばいいのです。
悪意ある誹謗中傷なんてウジ虫みたいに湧いてきますからね、マジで。
相手してると時間が足りないから無視です、無視
まあ簡単に「割り切れ」と言われても簡単ではないでしょう。ですが世の中は便利なもので、結構無視する言い分はあちこちに転がっています。
魂のレベルが低い、嫉妬してるだけ、精神が幼稚、徳がない悪人、人間のクズ、哀れな人などなど……。
まあ、なんでもいいです。とにかく自分が全否定を知らん顔できる言い分を選び、言い聞かせて無視しといてください。
どうせ幸せな人生を送ってない哀れな人たちです。わざわざ手を下さなくても不幸に苦しんでる連中です。
「悲しいね」とでも思ってスルーしとくのが一番健全な誹謗との関わり方なのかもしれません。
まとめ
というわけで、今回はFe(外向的感情)について、MBTIとユング心理学を混ぜ合わせてぐちゃぐちゃと考えていってみました。
人の感情に共感し同じ思いを共有できるというのは、非常に稀有な才能のように感じます。その共感力を遺憾なく発揮して人の気持ちを奪っていくのが、Feの真骨頂のような気がしますね。
ですが一方で自分というものを理解したり気持ちの理解が難しく、ついつい場の空気や人の気持ちに合わせてしまうところがあります。
ジティブな面ばかりの心理機能は存在しません。自分のせいの部分と負の部分、両面をしっかり理解し、自分の強みとして過不足なく活用していきたいところですね。
といったところで、今回はここまでです。
他にも色々ごちゃごちゃと書き連ねておりますので、もしお時間ありましたら興味がおありのお題からもう1記事見てやっていただけますと幸いです。
筆者:春眠ねむむ
X :@nemukedesiniso
threads:@shunmin.nemui
コメント
Feが集団には向かずに、好きな人個人にだけ限定的に使われることはありますでしょうか。
好きな人の気持ちはなんでも分かってしまうし、その人のために尽くそうとする。といった感じで
他の人とは距離を置く感じです。
なんでも分かってしまうの精度が高い場合Niも絡んでる気はしますが。
以前Feは博愛的、Fiは個人への純愛的とおっしゃっていましたがそれは何故でしょう。
他人の気持ちに行く時点で両方Feな気もしますが(生得本能がsx/spだと個人への純愛、soだと博愛な違いかなと思ったのですが)
高木さん大好き様
個人にですか……。個人への愛情こそはFe持ちでも持ち合わせていますが、個人に使われることはほぼ稀だと思っていいでしょうね。
尽くそうとするというより「同化する」というのがポイントで、そのために同乗心や共感が生まれると見ていいでしょう。
そういう意味ではFeは博愛的と言えます。なぜなら多くの人の気持ちや場の空気に自分を無意識に合わせてしまうので。
逆にFiは記事にした通りですね。好き嫌い機能と言ってもいいくらい好き嫌いをしっかり区分けするので、その分好きな人に配分するリソースは多くなります。そういう意味で情愛的と言えるでしょう。
ありがとうございます。
ただ、疑問なのはFiは内向きな機能なので
例え好きな相手であっても自分に置き換えることでしか人の気持ちを理解することは出来ない。
と取れるのかなと思って
そういう判断では無い場合(自分に置き換えずに人の気持ちが分かる)は一個人に対する限定的な愛情でもFeなのかなと(またはFeとNiの組み合わせなのかなと)考えたのですが
これは見解的に間違ってるんでしょうか?
そもそもFiが自分に置き換えずとも好きな人の気持ちならわかるとかなのでしょうか?
高木さん大好き様
なるほど……確かに、内向きならではというか、そういう捉え方もありますね。
実際、未熟なFiは相手の気持ちを考えられない傾向はあります。ただ、成熟してくるとTeや裏にあるFeとも連動してくるんですよね。そこが話を複雑にしているという……。
個人的な経験則ですが、Fe持ちの人は場の空気とか全体の傾向はよく見ていますが、意外と対個人では盲点が多いです。この辺、今度まとめてみようか……