群れる人は強くもあるが、愚かでもある(哲学風)

世の中

「人は集団で生きる助け合いの生物で、群れないのは愚かなことだ」「いやいや、群れる奴は心が弱いからそうしてるくだらない奴らだ」、と。

集団で生きるかひとりで生きるかは人それぞれで、そのどちらが優れているかの議論はいつになっても平行線ですね。

ぶっちゃけこの話に対して本音を言うと、人類が滅ぶまで結論が出ない問題なのではないでしょうか。

ひとりで生きるには相応の、集団で生きるならそれなりのメリットとデメリットが発生してしまうものです。

その中でもとりわけ集団は普通に強くもあり、同時に賢くないという側面もあります。

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集団は、限りなく強い

まず何よりも、集団は非常に強く勢いがあります

やっぱりどうやっても、集団というものは真正面からでは太刀打ちできない強さを持っています。

スイミーという絵本の話が分かりやすいですね。小魚が集まって1匹の大きな魚に化けることで、大きな魚たちとも対等以上に渡り合えるようになったという話です。

集団の強さは、「マンパワー」「みんながいるという心強さ」「周囲からの評価」に集約されることでしょう。

正攻法では無敵

なぜ人が群れるのかというと、物事の達成のためにマンパワーでのゴリ押しが可1番簡単だからと言っても過言ではありません。

例えば殴り合いの喧嘩や戦争、現代でも仕事量ならば数の多い方が勝ち目が大きいのは明白。1つの工程に割ける人数が明らかに多い上に、複数の工程を同時に進めることもできますからね。

1人だとどうしても人並み以上の動きがとれないため、群れと正面切って戦っても勝ち目はありません。これはどの分野でもほぼ同じことが言えますね。

ぶっちゃけこれだけでも個人と集団ではもう嫌になるくらいの戦力差が開いてしまっていますが……集団の利点である「強さ」はこれだけではありません。

“強くなったような気持ち”の心強さ

「自分が強くなったような気になれる」。こういえば何だか情けないばかりのデメリットに聞こえますが……実際、自分を強いと思っている時の根拠のない自信や強気な態度は、物事に対してプラスの影響を与えることも多いです。

「強いコミュニティに属す」という事は、とりわけ「自分は強い」と感じるためのお手軽な手段としては究極に近いでしょう。

実際、いわゆる「勝ち組」のような集団に属している人たちは、多くが自信満々で強気な行動に出られます。

必ずしも強気さがプラスに作用するというわけではありませんが……物事に前向きに取り組めるという点に関して言えば、集団に属するメリットは十分にあるでしょう。

影響力やプラスの印象

何だかんだ、集団の中にいる人は安泰な地位にいると言ってもいいでしょう。

自分ひとりでは太刀打ちできないような問題でも集団で取り組めば解決しますし、その集団の力を買われて人からプラスの評価を得ることが容易になる点も、群れるメリットといえますね。

例えば個人事業主は「どうせいつか稼げなくなる」と勝手に決めつけられてマイナス評価を受けることもありますが、ほとんどの人が知っているような大企業に属していれば多少のマイナスは大目に見られます。

また、人はどうしてもその人より背後にいる組織を見てしまいがち。信じられないかもしれませんが、格の高いコミュニティにいれば、極論しょーもない事を言ってるのに謎に評価されることもまあまああります。

私も某有名企業の子会社に勤めていた実績がありますが、やはりその点においては何かと評価される場面も少なくありません。

「例の集団」と言ってもいいような強いコミュニティに一度は入れれば、個人の能力や人格を問わず一定以上の評価をされる。

これは自分でそれだけの地位を築かなければならない「孤高」にはない強みですね。

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集団の「頭が悪くなる」という重大な欠陥

こんな感じで、集団はとにかく個人相手に正攻法では無敵に近い強さを発揮します。

しかし、群れる人を叩いているような人も決して100%間違ってる意見を言っているわけではありません。

強さの裏には、やはりそれ相応のデメリットが存在します。群れて生きる事のとりわけ大きなデメリットと言えば、やはり「集団でなく個人という単位で見るとパフォーマンスがかなり落ちてしまう」というのが見逃せません。

考えなくても答えがあることの弊害

集団で生きる事の掟は基本的に単純明快です。「統率者の意見は神のお告げ。地位無き者に口出しは許さない」「答えは上が示す。それに従わない者は去れ」。

「こんなのブラック企業だけの特徴だ!」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながらどの組織にもこれくらいの縛りは存在します。存在しなければ集団はまとまりません。

組織に属せば思考停止していても「何が正しいか」という答えは上が与えてくれますし、むしろ一部上層部を除けば思考停止こそが望ましいのは否めません。

進む道が間違っていても自分の理想と違っても、常に「黙って従う」「組織を追われる」の2択を迫られ、どうしても「従う」という答えが正しいという前提の下で意思決定をするようになってしまいます。

「人は新しくものを得ることより今あるものを失うことを重大に考える」とは言いますが、まさに我を通すと失う「集団の既得権益」と得られる「自分の自由」を天秤にかけ、集団の既得権益を選んでしまう事がしばしば発生しているわけですね。

口の上手い奴に流される“鴨”の群れ

集団で生きる上で一番大事なポイントは、みんなと同じ事しかしないことです。

つまり、みんな同じ。みんな正攻法。持ってるマニュアルはみんな一緒。

そんな集団の中で中心を取れる人物は、おおよそ決まっています。それが、ルールを都合よく曲解できてなおかつ扇動力の高い人。必ずしも、能力が高いとか人格的に素晴らしい人である必要はありません。

彼らは非常に口が達者で、自分をよく見せるのが上手いです。なので実力以上に評価され、「あの人が言うのなら間違いない」という錯覚に陥ってしまいます。

本当に頭がよくて性格も文句なしならいいですが……決まってこういう連中は食わせ物です。自分の利益のために色々な事象をねじ曲げて、それをさも「世の中の絶対正義」のように語るんですよね。

で、集団というのはみんなで思考停止して同じことを求める性質があります。カリスマ的リーダーのいう事が正しいかどうかを判断できる人がいないか、いたとしても口出しできません。

その結果、1人のリーダーの個人的利益のためにみんなで泥船に乗り込む組織も、まあ見ていていくつもありましたね……。

集団内の序列が全てになる

集団にはどうしても「絶対的な正しさ」が必要になりますし、その正しさが人格であれ能力であれ、嫌でも序列や身分格差が生じます。

この序列の格差は、言ってしまえば一種の麻薬です。下がいる事の安心感と優越感を、人間的な品性や本質を見る目と引き換えに常に与え続けてくれます。

その結果が何に繋がるかというと、慢心いじめですね。

自分がワースト1でなければ「もっとひどい奴がいる」という事がすぐにわかるので、ついつい油断してしまいがち。生じた上下関係が組織内の正義に過ぎないという事を忘れ、さも「世界の絶対の理の中で、自分よりも下の生きてても迷惑なウジ虫のような奴がいる」みたいな錯覚に陥ってしまうのは人間の醜さの1つと言えるでしょう。

で、そうやって下を見ているとついついやってしまうのが、いじめという奴ですね。

「忠告のつもりだった」「組織のパフォーマンスを下げる奴への罰」など見せかけの大義名分はいろいろあるでしょうが、それらの表層を取っ払ってしまえば、内にあるのは「組織の正しさを世界の正しさと勘違いして偉くなった気でいる傲慢さ」と「そいつが二度とのし上がれないように痛めつけて自分の地位を安定させたい」というエゴです。

組織に属する以上は上に認められて上にいく事が絶対条件になってしまうので、そのために人は何でもします。また、組織としても「劣等種なんぞ知らん」とばかりに知らん顔するのが通例。敵が身近にいる方が扇動はしやすいですからね。

こうやって組織が腐敗し、マクロな視点で見れば品位を失ってしまう……よくあることですね。

結局個人の生き方次第じゃね?

というわけで、集団で生きるにも生きるなりのメリットとデメリットがあるわけで、一概にどっちが優れているとも言えないというのが正直な思いです。

流されてゆったり生きたいのならば群れて偉い人に従って生き、自分の手で好き勝手生きたいなら集団に頼らず個人で生きる。これでいいのではないでしょうか?

中には「群れる以外の道を選ぶ奴は馬鹿」「孤高でない奴はゴミ」と決めつける連中がいますが……あんなものナンセンスです。どっちにもメリットもデメリットもあるんだから、どっちを選ぶのも自由でしょう。

ただ1つ言いたいのが、集団と個人のどちらを選ぶにしても、「自分の手で選ぶ」という思いを忘れないでください。

集団での生活を選んだ後に「選ばされたんだ」と被害者のような顔をしても誰も助けてくれませんし、孤高の道を「選ばされた」と語っても聞いてくれる人はいません。

ならば、やはり自分でメリットデメリットを吟味して「これだ!」としっかり選ぶことが大事。

どう生きるにしても、「自分で選ぶ」という選択肢はついて回ります。しっかり考え、これと決めたら胸を張りましょう。

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