コンプレックス。聞き慣れた言葉ですね。なんだか面白くない言葉です。
この言葉を有名にしたのは、実はユング心理学だとされていまして、せっかくなので取り上げてみたいと思います。
今回は、そんなコンプレックスがどんなものなのか考えていきましょう。
心理学上のコンプレックス
心理学上のコンプレックスは、端的に一言で表すなら「思い込み」です。
例えば「私は足が太いから醜いんだ」とか「俺は本をそこまで読まないからIQが低い」とか、人は色々な思い込みを持って生きています。
そしてそれらは、時として事実と反することがあります。というか、実際結構ありますね。
先述の例なんかは、まさしく「それ、関係あるの?」と言いたくなるような内容の思い込みです。
これですね。こういう「事実でも現実でもない、実際にそうかもわからない思い込み」。これがコンプレックスです。
≠劣等感
さて、察しのいい方ならこんなことを思われたことでしょう。
「え、コンプレックス関係なくね?」
この反応は、至極真っ当と言えます。というのも、昨今言われる一般的なコンプレックスは、もっぱら劣等感を指すもの。
例えば「自分は50m走でいつも最下位だった」とか「業績がいつも酷いことになっている」とか、完全に事実として結果に残っているものも、昨今ではコンプレックスとして扱われます。
ですが、心理学上……というか少なくともユング心理学上では全く違う。
例えば「人はみんなずるい生き物で、寄ってたかって自分をいじめてくる」とか「みんな優しくないから嫌いだ」とか。こういうのも言ってしまえばコンプレックスです。
結局のところコンプレックスとは「現実に反した/現実とも限らないものを絶対的に信じること」である、と。
だからこその思い込み。だからこそのNot劣等感。いつしか劣等感に置き換わったのは何故なんでしょうね?
ユングの思考実験
続けて、ユングが行った思考実験(言語連想実験というらしい)を少し紹介しておきます。
やったことは簡単です。
「今から私が一つの単語を言うので、それに対して皆さんも関連する一つの単語で返してくださいねー」
これだけです。
例を出すなら、「山」に対して「緑」とか「木」、「坂」といった具合ですね。
言語連想実験では、この簡単なゲームとも呼べない連想を2回行います。
これがなかなかの曲者で、皆さん「余裕じゃん」と思って挑んでみたものの、いざやってみるとある言葉では完全に詰まってしまい、またある言葉では長々と説明を始めてしまったりなどなど……。
以下に一部を抜粋して載せておきますので、興味がおありでしたらやってみてください。
頭 | 緑 | 水 |
支払う | 窓 | 親切な |
机 | 尋ねる | 冷たい |
海 | 病気 | 怒り |
ノート | 鳥 | 不正な |
別れる | 結婚する | 家 |
争う | 古い | 箱 |
牛 | 幸運 | 嘘 |
狭い | 怖がる | 清潔な |
嬉しい | 眠る | 月 |
どうでしょう?全て完璧に、素早く答えられたでしょうか?
実験からわかるコンプレックス
さて、ではこの実験の何がコンプレックスなのかという点を考えていきましょう。
この実験において言葉に詰まったりおかしな反応をした人には、いくつものパターンがあることが確認されています。
1.反応時間の遅れ
2.言葉が思いつかない
3.言われた言葉をそのまま返す(例:「板」に対して「板」など)
4.言われた言葉の勘違い
5.2回目の時に最初の実験の言葉を忘れる
6.1回目と2回目で同じ言葉を言う
7.明らかにおかしな反応
8.観念の固執(例:「頭」に対して「胴」、続けて「緑」に対して「尻」など)
結構な数ありますね。こんな感じで、意外と障壁になるものは多いです。
そしてこれらは、無意識のままにやってしまう癖だったり思い込みだったりするようですね。
ちなみに、ユングはこれらのことをコンプレックス指標と名付けていますね。この8通りのパターンが主に見られた反応なのだとか
すなわちコンプレックスとは、無意識下にでも発生しうるもの。というより、無意識そのものですね。
実際、この連想実験はそこまで難しいものではないはずです。なぜなら、言葉に関連してそうなひとつの単語を上げるだけでクリアできてしまうわけなので。
ですが、なぜかそうはいかない。この「なぜか」こそがコンプレックスであり、さらに言えばそこを突き詰めていくことこそが自身のコンプレックスの理解につながっていくわけです。
コンプレックス≒無意識の存在
自分の中には、自分自身でも理解している気持ち(顕在意識)と、なぜそうなのかわからない、あるいはそもそもあるとも思っていない気持ち(無意識)が存在しています。
そしてコンプレックスの厄介なのは、それらは全て無意識下にあると言う点です。
冒頭では思いっきり「思い込み」と書きましたが、実際は脳内への「刷り込み」に近いかもしれません。
コンプレックスは当人の脳内に、あたかも常識のように存在しています。そしてそれらに支配されてしまうことは、いかなる人も避けられません。
コンプレックス=常識?
また筆者はおかしな言動に走ってますね。誰かこいつをなんとかしてください……
「これくらい普通だ」「こうして然るべき」というのも、裏側にあるのは立派なコンプレックスです。常々「そうしなければならない」という強迫観念のようなものに縛られているからです。
そしてそれらは、事実に縛られない、自分の脳内だけの世界。誰しもが持ち合わせるべき絶対基準でもなければ、厳然たる事実のもとに形成されている概念でもありません。
だからこその思い込み。だからこその刷り込み。私の勝手な解釈ですが。
コンプレックスとは、すなわち自分の脳内で完結されている抽象概念とも言えるはずです。
無意識から意識下にちょっかいをかける存在
無意識的な刷り込みということは、当然意識下にもその影響は生じます。
ユング曰く、「コンプレックス=無意識と感情で結ばれた心的内容」。感情と絡み合っているということは、感情という名の意識にも大きな影響力を持つということにつながるわけです。
例えば「自分は一生貧乏なままだ」というコンプレックスのもとに生きている人は、嫉妬や実際見てきた一部金持ちの言動から全ての金持ちを悪だと断定して極端なまでの嫌儲になることがあります。
あるいは「非道徳な自分が怖い」というコンプレックスを抱いている人は、投影の結果としてどんな理由があっても非道徳的な行動や言動をした者は一生許されない悪と断定する……といった具合ですね。
このように、コンプレックスは無意識下にありながらも、何らかの形でちょくちょく意識下に出てきます。
河合隼雄氏は、コンプレックスをこのようにも例えていますね。
巨大な防壁によって隣国との平和が保たれているようにも見えるが、国境では小競り合いが起きたりゲリラによって村落が破壊されたりして、やはり敵国が隣に存在している。
要するに、コンプレックスは常にどこかで自分の心を脅かしている存在と言えます。
そしてこれは、心を病んでしまっている人はもちろん、健常な人もそうやって生きています。
自分の地位に危機感を持つ金持ちほど「貧乏人は甘えている」とか言ってそうですし、心の強さに自信がない健常者ほど「うつは甘え」って思想に固執してそうですよね。そうやって外敵を見つけて攻撃してないと、自分の心の平穏を保てないから。
結局、自分を守るのに必死なんだなって
コンプレックスの種類
コンプレックスには、大きく2種類のものが存在すると言われていますね。
1.受け入れ難く、そのため抑圧された経験
2.まだ意識下に健在していない無意識
1は自分の中で「ありえない!」と思ってしまったために封印されたり歪められてしまった現実ですね。
例えば、性的暴力を振るわれそうになった人が異性恐怖症に陥る……とかがその例でしょうか。あるいは「学生時代に驚くほどモテなかった」というのが要因となる人もいるでしょうが……。
2に関しては、幅広すぎて例に出せませんね。おおよそ、先ほどまで語ってきたものがここに分類されると思います。
結局のところコンプレックスは本人が自覚していない領域のものなので、2の素養は含まれていますね。
というより、個人的には1の外殻部分(要するにシェルターやシェルター外の領域)が増えたことによって生じるのが2の部分なのかなと。
コンプレックスの核
基本的にコンプレックスは色々な要素の複合体になりますが、その中にも核のようなものが存在しています。
そのもっとも一般的なものが、心的外傷。トラウマですね。
トラウマを持った人は、トラウマを想起させるもの自体が引き金となり、例えばそれらを前にすると身動きが取れなくなったり、赤面したり、特に何もされていないのに危害を加えそうになったりします。
このコンプレックスの核とも言えるものは、あらゆる感情、あらゆる要素を吸収して巨大化していきます。
先ほどの異性恐怖症の例を挙げるなら、1人の異性ない1つの小さな環境から「あらゆる異性」という特大のキーワードに地雷が肥大化し、異性とまともな人間関係(友情含む)を築けなくなってしまう一例と言えるかもしれませんね。
コンプレックスは悪いものなのか
ここまではコンプレックスをまるで「直すべき悪しきもの」のように語ってきましたが、現実はそう単純ではありません。
むしろコンプレックスがあるからこそ「こうなりたい」という熱い理想が生じることもあれば、「かくあるべし」という道徳基準が生じることもあるのです。
そもそもの話、人間の意識というものはコンプレックスの塊です。それが悪い影響を与えているならともかく、コンプレックスそのものをことごとくどうにかすること自体、土台無理な話と言えます。
コンプレックスとは当人を彩る個性の一つでもあり、その思想や思考が生じる苗床でもあるのです。
コンプレックスがあるからこそ人は個人でいられるし、ある方向に向けて努力を続けられるし、その努力の方向をはっきりと見据えることができる。
ちょっと抽象的な気がしますが……ともあれ、コンプレックスによって得られる恩恵もあるということです。
コンプレックスの一例
さて、ここらあたりで、コンプレックスの一例について見ていきたいと思います。
先述の異性恐怖症も立派な一例ではありますが……せっかくです。一見プラスとも取れる要因からも考えていきましょう。
手持ちの書籍にファザーコンプレックス持ちのキャリアウーマンの話がありましたので、それをかいつまんで解説しましょう。
とある女性の例
その女性はバリバリのキャリアウーマンで、いわゆる「しごでき女子」。
ですが部下には非常に厳しく口うるさく、場合によっては少々侮蔑的で、特に男性社員からのウケは非常に悪かったようです。
言っている事は正論ばかり。当然その言葉に文句のつけどころはほどんどありません。
ですが、世の中には言い方というものがあります。この女性はそこのところのセーブが利かない(というか利かせる気がない)ようで、相手を真正面から踏み潰すような正論を吐き散らし、どんどん人間関係の溝は深まっていきました。
また女性も女性でその辺の変化には気づいていたようですが、「勝手に嫌うアホな男ども」に対してさらに意固地になり、人間関係はひび割れていくばかり……。
次第に事態は収拾がつかなくなり、その女性社員と部下の間にはどうやっても埋まることのない溝ができてしまったのでした。
「父親に褒められた」がその起源
ではその女性は劣悪な家庭環境で性格を歪められたクチなのかと言えば、それはまた違う。むしろこの女性は父親が好きで好きでたまらなかったようです。
父親も彼女と同じく仕事面では有能であり、非常に権威ある立場の人。それは幼い頃の女性にもよくわかっていたようです。
そんな父に褒められるよう、その女性は勉強も習い事もひたすらに頑張りました。そしてそんな様子を父もしっかり見ており、いい結果を持って帰るたびに「がんばったね」「えらいね」と褒められる日々。
一見すると理想的な親子関係ですが、これが彼女の頑なな態度の起源へとつながります。
褒め言葉の重荷
褒められたことを非常に誇らしく思った彼女ですが、同時に心のどこかではそれが重荷になっていきました。
そして次第にこうも考えるようになったのです。「成績が良くない奴は褒められる価値も存在価値もない」。
そんな思い込みが重荷となり、同時に「生きる上での絶対条件」となり、彼女は次第に歪んでいった……というのがことの顛末です。
あとはもうお察しの通りですね。彼女が部下、特に男性部下に向ける目線は、大体以下のようなもの。
「男のくせに父とはまるで違う」
「褒められるだけの業績もないし努力もしない、存在価値のない連中」
当然、それでは人間関係はうまくいきません。これを「思い込み」「刷り込み」と気づかなければ、このまま人間関係は破綻の一途を辿るでしょう。
コンプレックスは、大きなものになればなるほど、気づかなければ大きな障害となってしまいます。
自分という外殻を理解する必要性
コンプレックスが形作っているものは、「自分の見方は絶対的に正しい」という思い込みです。
そしてそれは、強くなればなるほど害となって自分の身に降りかかってくるでしょう。
ではどうするのかというと、自分という存在やその思うところを理解する。これをもって他にないでしょう。
無論、簡単ではありません。なぜなら、自分が正しいと思って述べていることに逐一「どうして?」と尋ねてみたり、その根元をほじくり返して見たりする必要があるからです。
正直、物が大きくなればなるほど、その解消は狂気の沙汰と呼べるものになってくるでしょう。
ですがユングは以下のようにも述べています。
「人格の発展ほど高価なものはない」
そのためにはまず、自分の視点の正しさを疑ってみたり、ちょっと俯瞰して見ること、自分に人生におけるアンチテーゼとも呼べる存在の視点から自分を見返してみることが大事になってくるでしょう。
繰り返しになりますが、簡単なことではありません。苦行です。
ですがその先に、少しでも楽になれて垢抜けた人生が待っているのなら、やる価値はあるのではないでしょうか?
まとめ
というわけで、今回はユング心理学におけるコンプレックスについてのあれこれをまとめてみました。
独自注釈もあれこれとつきまくった気もしますが……まあそれはそれ。
コンプレックスというものの存在を知るだけでも、人生を見直すいいきっかけになると思います。
もしよければ、コンプレックスというものを意識してご自身の人生や考え方を振り返ってみてください。
面白いきっかけが転がっている……かも?
といったところで、今回はここまでです。他にも色々と講釈を垂れ流している記事もありますので、よければ色々と漁っていってください!
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