兵法に曰く、「舐められる人には意外な1つの強みがある」舐められたって気にしないで!

人間関係いろいろ
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どうしても人に舐められてしまったり、馬鹿にされてしまったり、事あるごとにネガティブな印象ばかりを語られてしまったり……。生きてると、大概こういう事も多いんですよね。

人ってのは風評や見た目、自分に理解できる範疇でしか他人を評論できないもの。どう生きようが、慕う相手と見下す相手は出てきてしまいます。

ですが、その中でも「大抵の人に下に見られる人」というのが、どうしても存在してるんですよね。

でも安心してください。舐められる事にも利点があります。今回は、その利点に関して見ていきましょう。

舐められる人は、相手を油断させる

人に後れて発し、人に先んじて至る。此迂直の計を知る者なり

これは、かの有名な孫子兵法の言葉ですね。「回り道したり遅れることで油断させて、目先の利益で敵を釣って足止めしたり誘導し、結果として自分が先に目的地にたどり着く」。

これこそが迂直の計ですが……まあ、これだけだと思っちゃいますよね。「これのどこが舐められることと関係あるんだ!」と。

ですが、考えてみてください。舐められてるんですよ。相手は油断しきって、意味もなくこちらの揚げ足を取ったりあえて言葉を悪意的に解釈することで、強引にでも未熟な愚か者というポジションに当て嵌めようとしています。

要は向こうから見たあなたはクソ雑魚です。本気で相手するまでもありません。小指一本で余裕で勝てるとすら思っているわけです。

そこで疑問なのですが、世界中のどこに、小指1本だけでも勝てる相手に本気を出す人がいるでしょうか?

あかつき
あかつき

人を馬鹿にすることにいちいち時間を割くって時点で小さいんですよ。

人間の体にネズミレベルの器しか乗ってねーのかよと……

そこを踏まえて迂直の計に話を戻しますが……周囲の人は、あなたを「価値の無い人間だ」と軽んじて油断しています。要するに、半分敵みたいな扱いで馬鹿にはしますが、全力で妨害したり潰す必要がある”障害”とは見なしていません

おまけに、「あなたを差別して見下すことで自分の気持ちはスッキリするが、そのぶん成長の足は止まっている」と言ってもいい状態です。

そりゃあ仕事において上司に認められるために一定の成長はしますが、所詮は一定止まり。相手の土俵、すなわちこちらの苦手分野で勝負しない限り、成長幅でこちらが上を取ることも可能です。

「迂直の計を知る者は勝つ」と言いますが、そんな難易度の高い迂直の計の条件を知らぬ間に達成してしまっているのが、人から舐められて軽蔑されてる人なのです。

当然油断をつけば勝てるという言葉は他の兵法書にもあって、例えば六韜には「強くて驕りのある相手はより強くして驕りを大きくすれば勝てる隙ができる」という旨の記述がありますね。

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勝利とは敵に勝つことに非ず

そんなわけで、「舐められている人は相手に勝つ土壌を得ている」という話をしましたが、この「勝つ」というのがなかなか定義が難しく……

例えば相手を謀略で蹴落とすとかもそうですし、舐めきってる相手の望むままの土俵に立った上で相手を倒すのも、まあ勝利という概念の定義としては最大級ですね。

ですが、何も勝つというのは、相手に勝つことだけではありません。

自分の目的を達成する。要するに幸せになる。これが勝利条件でもよくはないでしょうか?

相手の反応がどうなろうが、自分なりの目標を達成し、自分なりの幸せを手にしたら、もうその時点で勝ったも同然じゃないですか?

散々舐めきって馬鹿にしてくれた因縁の相手を、その相手が望む形の決戦で下して徹底的に叩き潰す。確かに、それはやり遂げるとさぞ気持ちがいいでしょうね。

ただ、問題はその後です。「憎しみは憎しみしか生まない」なんて綺麗事を言う気はありませんが……やっぱその過程を見てる人は見てるんですよね。

それで強い奴勝った奴に靡くような軽い人たちは仲間になってくれますが、連中はもっと強い奴が現れたらそっちに味方するでしょう。

それよりも問題なのは、相手を潰す様子を見て、こちらに対して「ああ、こいつも同じか」と思ってしまう人がいる事。

どうしようもない人は、相手にした時点で勝とうが負けようが不利益を与えてくるものなんですよね。

「相手を打ち負かすことで他の舐められてる人に勇気を与えたい」とか「穢れの無い世の中を……」みたいに遠大な理由が無い限りは、ガン無視が一番です。

幸せになって仲間も増えたあたりで、いけしゃあしゃあとすり寄ってきますよ、そういう相手は。最大限復讐するにしても、そこで過去の事実を突きつけて冷たく突き放すくらいにしときましょう。

そもそも馬鹿にする奴らは大抵弱者

なんというか、人をいじめたり舐めたり見下したりする人って、大抵ヒエラルキーが低い&それを過剰に気にしてしまっている人たちが多いんですよね。

彼らの気持ちを推察するに、「このヒエラルキーは決定事項であり覆されない。ならばせめて、自分より立場の低い奴らをいじめてちっぽけな優越感に浸るしかないじゃないか」みたいなところなのかもしれません。

実際、アパルトヘイトの撤廃に対して最後まで反発してたのは貧困層の白人だったと聞きます。

私個人の人生経験を追っても、私の考えに対して「理解に苦しむ愚か者の発想だ」と馬鹿にして見下すのって、そこそこ以下の学歴な上にこれといった特技もない、ただ上から言われるままに惰性で生きてる人たちでしたね。

「彼らのスペックが低いから性格も悪いのだ」と言いたいわけではありませんよ。

「低スペックな人間である」という世評そのものを一生覆せない最終決定みたいに捉えてしまった結果、そんな自分でも見下せる相手を探さずにはいられないのでしょう。

おおよそ、そういう人は自分にできることができない人や何かしら外見や態度に難点がある人、自分に理解できない思考回路をしている人を、とにかく理由付けて馬鹿にする傾向があります。

低学歴でもその辺気にしない人は、最終的に大物みたいな振る舞いやたたずまいの人が多いですね。

私の以前の職場に中卒で自称「ロクな自分磨きをしてこなかった」人がいましたが、彼なんかは私から見ると素晴らしい人物でしたね。例え理解できないものであっても、必ず自分の中で咀嚼して、あくまで主観として意見を言うような人でした。

結局は本人の気の持ちようという話ですが……弱者であればあるほど余裕がなくなって、そのぶん見下す相手を作ることで安心したいのはある意味普通の人間心理なのではないでしょうか?

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本気の本気でやる奴はなかなかいない

舐められてると、まあ多種多様な妨害や嫌がらせにも遭いやすいですね。やりたいことを全否定されたり、いっそ存在そのものを否定されたり、あるいは自分が出した成果をみんなして否定して妨害するなんて大人げないいじめを受ける事もあるかもしれません。

ただどれにも言えることは、本気の本気で、徹底的に用意して周到に対象を追い詰めるなんてことは、舐めてるがゆえのいじめではまず発生しません。

要は馬鹿にしてるんですよね。「こんな奴ごときが、こっちにやり返したりどこかにチクる勇気なんてあるはずがない」と。

大概はしょーもない嫌がらせで「気にしてる」だ何だと馬鹿にして楽しむだけです。

次第にエスカレートしていじめに発展するにしても、殴るのが楽しすぎて用意周到にやる人はあまりいないでしょう。

本気であっても隙は生じやすい

舐めきって馬鹿にしてる相手だと、誰であってもどうしても隙が生じるのです。

もし舐めきった態度で雑に扱われるのなら、熱くならず冷静に対応しましょう。それで「反応する気概もない奴」と興味を無くすかもしれません。

いじめられたなら、それこそ然るべき場所に働きかけて逆に叩き潰すが吉。上司や先生にチクるまでは想定していても、例えば警察なんかを動かすなんて、大半が想像つかないでしょう。

録音や記録を怠らずしっかり報告すれば、案外動いてくれるものです。人を舐めてかかるような人の多くは、実は知らずのうちに犯罪行為を犯してるものなのです。

舐められるとは、人権を無視されることとほぼ同義。大抵の場合、「こいつなら大丈夫」と大概エスカレートしてますから。徹底的に馬鹿にしてきてる以上、やり口がお粗末なことも少なくないです。

そうやって一線を越えた時にピシャっとやり返してしまえば、大抵はみんな怖くてやり返せなくなりますね。

ただし、やり口が中途半端だったりタイミングを間違うと、逆に「あいつごときが生意気だ」と逆上して、周囲が結託して潰しにかかってくる可能性も……。直接やり返す場合は、特に注意が必要です。

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舐められても平気で生きていく方法

というわけで、結局これといって実害が無い限り舐められてても「知った事か」で片がついちゃうわけですが……そうは言っても軽んじられるのを気にしないスルースキルって、そうそう身につくものではないですよね。

実際、細かい事でも気になってしまうのが人の心と言うやつです。

ですが、その辺りは心がけ次第で何とかなる部分もあります。以下、「舐められない」ではなく「スルーできる」という点に主眼を置いていくつか考えてみましょう。

やりたいことをはっきりさせる

目標や理想がはっきりしていれば、それを中心に物事を考えるようになります。

集中すればそれだけ雑念がなくなる=些末なことが気にならなくなるという好循環で、妨害も行わずただ馬鹿にするだけの連中に気を取られる事も減るでしょう。

実際、歴史の教科書に載る人たちも案外舐められて馬鹿にされてますからね。超有名どころだと「尾張のうつけ」と呼ばれた織田信長とか、国士無双の語源である韓信なんかは、若いころは舐められまくってましたね。

特に韓信に至ってはニートやってたせいで周囲からも侮辱されまくりの日々だったとか。

それでも、どちらも世評を機にした様子があんまりないんですよね。

結局、自分を強く持てば持つほど、「些末」と片付けられることが増えていく。精神論時見てしまいましたが、案外そういうもんです。

あくまで「自分」を中心に考える!

私は他人軸の生き方を悪いとは思っていませんが、舐められてたり馬鹿にされまくっているケースであれば話は別です。

特に人からどうにも軽んじられてイライラしている人は、自分にとって何が一番いいのか考えてみてください

頭に血が上ってしまってはダメ。あくまで冷静に考えるのが1番大事です。

そのうえで見返すのが1番の望みなら、そうすればいい。もし他の「のびのびとやっていく」とかが目的なら、見返すよりも面倒くさい声を遠ざけるのがベストでしょう。

「みんなに好かれたい」とかなら、それこそ攻撃するのが致命的ですね。もっとも全員から例外なく好かれる方法は元来存在しないものですが……まずは堂々として付け入る隙を与えないところから始めるのが先決ですね。

戦う時は「自分の土俵で」!

もしもボロボロに負かして相手を見返す方法を選んだとしても、注意すべきは「相手が指定したフィールドで戦わない」こと。

おおよそ、あちらは「お前の無能さを証明してやる」とかで、こっちに極力勝ち目のないフィールドを決戦場に選ぶでしょう。例えば「ガリ勉なんて所詮は雑魚!ゲンコツ勝負でかかってこいや!」みたいなやつですね。

まあ乗っても一目置かれることは無いとは言い切れないですが……だいたいはボロ雑巾のように打ち負かされてより一層舐められるばかりです。

どうせなら、頭の良さを生かして立ち回るのがいいでしょうね。学校内に味方がいないなら外に味方を作るとか、仕事なら自分なりに結果を出す仕事と方法を色々考えてみるとか。

「戦う前に勝つ」は戦いの基本。相手を見返したいなら、冷静に決戦場を選定し、その上で更に確実に勝てるよう方策をいくらでも考えておきましょう。

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所詮他人は他人

舐められても平気でスルーするには、やはり「人は人」と、他者を意に介さないのが1番いいですね。

次に見るのはそんな「自他の線引き」の話。

自他の線引きをしっかりする

「自分は自分、人は人」。この言葉は、時に正論すらも無視できる強力なワードです。

特に自分が理不尽な目に合ってるなら、より意識した方がいいでしょうね。

「自分を持つ」というのと2つで1つのような気がしますが……とにかく怒りが湧いたり「見返してやる!」と思ったときは、あくまで自分の都合に立ち返り、「見返したらどうなるんだろう?」と考えてみてください。

結果的に見返すことになろうがなかろうが、この自分の都合を自分の頭で考えるというのは、今後生きていくための重要な武器になります。

「真の賢者は物事を道理と理屈で考え、その道は遠大で常人の知らざるところにある」。哲学書の多くに似たような言葉がある、1種の常套句です。

自己犠牲は断固厳禁

舐められないためにも、舐められたときに被害を被らないためにも絶対的に必要なのが、自己犠牲は絶対にしない事です。

例えば友人にお金を貸せば、多くの場合は「都合のいい時にお金が手に入るお財布ちゃん」と見なされるでしょう。最初は1万円でも、次に3万、5万、10万と大きくなり、額が大きくなるたびに返してくれる確率はガクンと下がります。

余裕が無い時に自分の事情を放り投げて人を助けても、やっぱりその人から軽く見られます。

多くの人は「感謝とは援助の大きさに比例して大きくなる」とは言いますが、明らかにそうでない法則も働いてます。

褒められる人間は、多くの場合それだけ都合のいい人間である。人を助けたりするときには、こういう言葉を一瞬でも思い出してみるといいですね。

特に優しい人に必要なのは、万一にもあるかもしれない悪意への対処です。

舐めてくる奴は基本「敵」

もうね、ぶっちゃけます。舐めてくる奴は、基本的にどんな立ち位置にいようと、心持ちとしては「敵」くらいに思っとくのが正解です。

だからといって一方的に打ち倒せとか言ってるわけではないですよ。あくまで舐められてる側の心構えの問題です。

人ってのは悲しいもので、下に見てる人間を仲間と認めることはありません。多くは使い捨ての道具です。

仲間とは、どうあっても対等の存在の中でしか存在しえないのです。

何より、自分の精神的なダメージの軽減にもなりますね。

「味方と思ってたのに裏切られた」よりも「敵に侮辱された」のほうが形としては自然ですし、結果的に精神的ダメージも少ない。

いくら表向きのポジションが味方に見えたとしても、相手を舐めきってる時点で味方とは言えません。「助け合い」の関係の中からは、舐められた時点で外されているのです。

だったら、こっちも味方として大事に扱う理由はありませんよね?

舐めてくる奴は気にしない一択

結局、舐めてかかってくる奴は原則として無視一択ですね。実害がある時はさすがに対応しないとマズいですが、何となく上から目線でムカつく程度では、さすがに相手から何かしてくるにはきっかけが無いと難しいでしょう。

「嫌われたくない……」「あいつめ下に見やがってムカつく!」なんて考えるよりは、「こっちのやることは馬鹿にはわからん」くらい高慢に構えとく方が、まだ精神的には健全を保てます。

もっとも、必ずしも高慢であることがいいわけではありませんが……まずは舐められる、あるいはそれを本気で気に病んでしまう状況を何とかするのが先でしょう。

精神の修練よりも、まずは心の傷とその元凶を何とかするのが先決です。

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