「普通わかるでしょ」「常識でしょ」「当たり前だろ」←これやる奴を3種に分けて考えてみる

世の中
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「こんなの普通わかるでしょ」「常識だろ。わからないのか」「当たり前のこともできないのか」などなど……人生で最低でも1度はこんな叱責を受けた方も多いのではと思われます。

正直、どれも聞くだけで頭が痛くなる言葉ですよね。言われる側からすると、それこそ「知るか」というか。

ですが、言ってる本人からすると「それ以外はすべて間違い以下の、検討の余地もない論外な選択肢」。おおよそ直接文句を言ったところで、顔を真っ赤にして愚物認定されるのが関の山です。

で、ここで思ったのですが、結局彼らが言う当たり前とか普通とか常識って何なんでしょう?何を思って常識だとか普通だと判断したのでしょうか?

常識を振りかざす奴らの気持ち

常識だの普通だのを振りかざして誰かを攻撃する人の心理は、大まかには以下の3択で言い表せます。

  • 唯一自分の見てきたものだけが、この世に存在する世界だから
  • 他人を都合よく動かしたいから
  • 偉い人の言葉を鵜呑みにしてるから

とりあえず彼らを悪く言うなら、器か視野、あるいは両方が狭い人たちです。「人は人、自分は自分」という言葉を理解できないし、理解する必要性を感じていないような連中がほとんどですね。

自分の得になるものしか認めないような悪人か、あるいは自分の行いをいつも正義と確信してしまっているか、それとも正義を自称して安心したいのか。

まあ人間ならば、「都合よくあってほしい」とか「自分の行いが正しいものであってほしい」とか思う気持ちはわからないでもありません。
ですが、ただ「そうあってほしい」と思うだけなのと実際に「自分が正義だ」と妄信するのでは訳が違いますよね。

普通とか常識とかいう言葉を多用する人は、基本的には「正義や都合のいい世界を妄信する人」に属します。

自分の見た物以外を認めない人

さて、ではまず「唯一自分の見てきたものだけが、この世に存在する世界」というパターンの自称常識人を見てみましょう。

彼らは要するに、視野が狭いために自分の視点以外のものを断固として受け入れないわけですね。

自分が学んできたことだけが世界の真理。自分が正しいと思った事だけが絶対普遍の正義。自分が見てきたものだけが存在する現実である

例を出すなら、こういう人たちですね。

彼らは基本的にどうしようもないクズや外道のような人物ではありません。単にちょっと思慮が足りていないか、余裕がなくて視野狭窄に陥っているか、あるいはその両方です。

しっかり理屈を説明して納得させるか、本人たちが少数派や非常識な部類に入ってしまうと、ハッとして振る舞いを直すかもしれません。

もっとも、メンタルが不健全ならば「うるさい!常識はこういうものなんだ!」とより頑固になってしまうかもですが……。

いずれにせよ、物の見方は偏狭ですが正義感は嘘ではありません。そういう意味では、他のタイプよりは救いがあるかもしれませんね。

常識を盾に都合よく……

さて、次に「他人を都合よく動かしたいから」という連中について。

何だかんだ、このタイプが一番救いの無いどうしようもない連中かもしれません。

常識を盾にして他人に罪悪感を与え、自分の駒として動くように強制してくる。あるいは常識や普通といったあいまいな言葉を使って相手を責めることでスッキリしたいだけかもしれません

例えば「コーヒーを淹れる時は、まずミルクと砂糖をカップに入れてから湯を注ぐのが常識だろ!」とか、「お前がご飯をおごるのが普通でしょ!」みたいなやつですね。

結局利益のため。全部自分のため。根っこの部分では常識なんてどうでもよくて、単に自分が得するためだけによくわからないまま言葉を振りかざしているタイプ。

まあ、いかにも生物らしい人たちだとは思いますよ。どう取り繕っても、人間から我欲が抜けきることはありません。
ですが、それにしても「言えば得するかもだから」という理由だけで、空虚な言葉を刃物のように振り回す彼らの行動や言動はいっそ清々しいとも言えます。

このタイプは例外的に、視野が狭い人ばかりではありません。ただ器が小さくてねじけているのです。まともに相手をしても、聞き入れてくれる可能性はほぼありませんね。

そう学んだから……

最後は、日本人には特に多いタイプかも知れませんね。

いざ態度をとがめられると、「だって普通は普通じゃん」「理由を求めるな!」「うるさい!そういうものなんだ!」と思考を停止して「そういう事になってるから」でゴリ押ししてくるタイプ。

「偉い人の言葉を鵜呑みにしたから」とは書いていますが、ここで言う偉い人は必ずしも権威者を示すわけではありません。

むしろ親とか学校とか先生とか上司とか……案外身近な人からの教えを馬鹿正直に守っている人に多いです。

で、ある意味誠実な人ほど「先輩や上司は畜生同然の奴でも無条件で敬うもの」とか「どんな毒親でも親は親だから言う事は聞くべき」とか、孔子も首を傾げそうな現代式の儒教観念を強く持っているのも特徴かもしれません。

思考停止してよくわからない決まりを守り続けた結果、「先輩が馬と言ったらそれが鹿であっても馬」という根性が染みついてしまい、どれだけ理不尽なルールや非合理的な命令も「そういうもの」と納得してしまい、周囲にも従うように求めてしまいがちです。

要するに、純朴で従順なんですよね。で、それだけに場に流されやすく、「何故」とか「組織の外では……」とかを考えるつもりが一切無い。

こういう人たちは一度自分で考える癖……それも「上司は何を求めているかを察する」みたいな使われる側の思考ロジックではなく、理論や理屈を通じて自分の意思を持てば化ける……かも。

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とりあえず話は通じないと思っていい

では、ここから対処法の話ですが……正直、対処法と言ってもいい対処の仕方はありません。

常識とか普通って言葉自体、日本では強すぎるんですよ。
みんな非常識な人になりたくないから常識に従い、当たり前のことを当たり前にできて当然で、普通であることが何事においても最低限の基準として機能する。

要するに、日本という国における「普通でない」「非常識」「当たり前のこともできない」は、社会に対して「こいつは人間じゃありません」と名指しで訴えられるのに近いんですよね。

で、「常識が無い」というレッテルを貼ってしまうと、周囲からも社会規範から逸脱したヤバい奴と認定されてしまう。

あかつき
あかつき

ぶっちゃけ、人権を剥奪されたヒトモドキが何を言っても、誰もまともに相手をしません。

常識の無さを問い詰めるのには、「こいつはヒトモドキだ」と周囲に訴えかける意味合いもあるわけですね。こわいこわい

コミュニケーションとは、お互いの立場をある程度認め合った上で成り立つもの。人とも思われてなければ、そもそもまともな会話は望めません。

非常識認定を受けたのなら、いっそ適当にかわすことを考えましょう。

どうせ心の中の声なんて聞こえません。「また猿が何か言ってるよ」とか失礼なことを思ってても、まあ別に構わないでしょう。

とにかく、真に受けない事。連中の言い分を言葉として認識しない事。

なかなか難しいですが、とりあえず適当にやり過ごしておくのが正解ですよ。

自分もどこかでやってるかも……?

さて、ここまで散々「普通」「常識」「当たり前」に対して悪口を書き散らしてきましたが……実はこういう考え方、油断すると誰でもやってしまうものでもあります。

例えばスーパーのレジ打ちが遅い店員さんに対しても「待たせてる自覚はないのか(普通もっと早く打つだろ)」とか、なかなか話が通じない人に「こんなこともわかんないのかよ(常識だろ)」とか……

言葉は違えど、案外似たようなことを思ってしまった経験があるものです。

かくいう私も、誰かを説得する時なんかは「ここまで言って理解してないのか」とかイライラしていた時期もありました。

人によって考え方も違えば価値観も違う。頭の使い方もどこに思考エネルギーを割くのかも、思考回路や同じ知識の使い方だって違うわけです。

だったら、相手が重視していないような事柄を、自分にとって大事だからと「普通は重視するでしょ」というのもおかしな話。

こじつけ半分にはなりますが、「普通わかるでしょ」と「30歳にもなって結婚してない奴は常識が無い」というのは割と似たような言葉なのかもしれません。

いずれも、自分の頭の中だけの「常識」「普通」とやらを他人に無理矢理押し付けてるだけ。

そもそも常識とは、「みんなが知っていてい当たり前」「みんなこれを選んで当たり前」という超曖昧なものにすぎません。

例え10人中8人が「A」と答えても、残り2人が本人なりにきちんとした理由で「B」と答えていたら、もはやAは常識ではないのです。

誰でも1歩間違えば、「普通」「常識」「当たり前」を凶器として振りかざす人になってしまいます。

それを忘れず、非常識と出くわしても寛容でいたいものです……。

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