成長ばかりに囚われて疲れた……そんな人に向けて

善悪論
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成長……なんて言い方をすれば何だか無条件で良い事のように思えてしまいますが、実際にそればかりに囚われるのはどうなのか?

確かに成長しない人はマズいです。最初に満足できる結果を引き当てられなければ、何度やっても結果は変わらず。そのツケは本人か、最悪他人が支払い続けることになるでしょう。

ですが、全員が「成長!」「成長!」と切羽詰まって生きるのも、個人的には「何だかなぁ……」と思えてしまう。

今回は、そんな意識高く生きる事の真逆を行くような内容ですね。

「成長しなければ!」それは何のため?

成長第一主義の昨今の風潮にいきなり喧嘩を売る内容になるかもですが……

成長はいいことのように語られます。成長に駆られる人も決して少数ではありません。

ですが、その成長って何のためのものなんですか?何がしたくて成長を望んでるんですか?

仕事をもっと上手くこなすため、周りから評価されるため、なんとなく……理由は様々でしょう。

ですが、多くの人は、「新たな技術を得る」「お金持ちになる」「みんなから称賛される」と、成長や結果そのものが目的になっています。

まあそれはそれで、結果が出た後に新たな目標が生まれるならいいのですが……結果を得た先に何も思いつかなかった場合、そこで燃え尽きてそのままドロップアウトする人も少なくありません。

あるいは成長を常に目標にし続ける人も、その先に得た結果に満足できず、常に自分を「未熟者だ」と思い込んで苦しむ原因にもなり得ます。

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ただ成長・完璧を目指す者がどうなるか

昔語りというか「自分はこうして成長した」みたいな話は好きではありませんが……せっかく都合のいい例があるのでお話ししましょう。

かつて私も「自分はダメだ」「まだ粗が多いから完璧を目指さねば」と中身のない成長を目指していた時期がありました。

で、その時期は確かに色々と実践していろんな経験を得られましたし、実際に成長にもつながったことでしょう。

実際に人からは「成長した」「こんな事もできるのか」「人間的によく出来ている人だ」と太鼓判を押されることは多くなりました。そういった評価を経て、今の自分があるのはよく理解しています。

が、当時の自分はそんな成長を喜べていたのかというと、不思議なほど喜べない。

「まだまだ足りない。評価されるに値しない」と思い込んで、人からの称賛も真面目に聞けず、自分の欠点ばかりが気になってました。

仮に人からの称賛を素直に喜べたとしても、私の周囲では「嬉しい反面ハードルが上がってしんどくなってきた」という人も少なくありません。

このように、成長を義務や使命にすることは自分の人生を息苦しいものにする一方。「苦痛が自分をさらに成長させる」という意見もありますが、わざわざ焦りや苦痛を買ったところで、得られるのは余裕の無さだけです。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」?あんなもの苦労を売る側の売り文句です。買うべき苦労など、自分の人生をより楽しくするための一時のもの以外ありません。

買った苦労はためになるのか

あえて口汚く言いますが、買った苦労もクソほどの役に立たなきゃ徒労、ゴミ、骨折り損です。

苦労は人を成長させる?確かにその側面はあるにはあります。ですが、無理に買い込んだ苦労が本当に成長させるかは個人的には甚だ疑問です。

例えば今時はデジタルで大抵のことができる時代。プログラミングのようなIT技術を学ぶのであればプラスになる可能性もありますが、あえてデジタルに逆行して手書きで書類を全部作って、その先に得られるものは何ですか?

理不尽な要求に対してどこまでもひれ伏して、罵倒されながら相手の要求のため自己犠牲を繰り返すのに、何の意味がありますか?

「根性や忍耐力がつく」とドヤ顔で語る奴もいますが……とりあえずそいつらには憐みの目を向けながらさっさと距離を置いてしまえばよろしい。

自分の経験値にならない苦労はゴミみたいな徒労ですし、結果的に自分の財産にならない経験値は無駄そのものです。

たとえば自分がやりたいことがあって、そのために元来不得意な作業も含めて全部経験しきるのはプラスの経験になる事も多いでしょう。

ですが、例えばエンジニアを目指しているのに接客のための笑顔やハキハキした喋りを身に着けるとか、臨床心理士を目指す人が暗算能力を磨いたり……こういう努力は、直接的には何にもなりません。

せいぜい、夢破れた時の選択肢が増えるくらい。しかも他にも選択肢なんてあるはずなのに、わざわざ無関係の方向に進む道ができても選ぶ理由がありません。

道が定まっていない成長も同じです。

成長してどうなるのか? 何のために成長するのか?

これをよく考えた上で、自分に必要な要素を取り込むようにしましょう。

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自分の「今」を知らない者に成長はない

何だかんだ言いましたが、実際に成長を心掛けるのは立派な事だとは思いますよ。

無理に成長を目指す必要はありませんが、成長する気があるのと無いのでは、やはり前者の方が最終的に結果が出ます。

ですが、問題なのはその動機と方向性。

自分の目的が定まらない成長は自分にとってプラスであるとは言い切れませんし、自分の素質やこれまでの軌跡を理解できない人にまともな成長は望めません

今の自分をダメだと思って、とにかく自分を磨く。これもまあそれで気力が続くなら別にいいでしょう。ですが、実際のところはいつか折れてしまうのが関の山です。

土台無理なんですよね。自分を一切認めず、成長すら自覚せず、誰かに認められている実感を得る事すら許さずに頑張り続けるなど、どう考えても力尽きて死ぬまで走り続けるマラソンと同じです。

あかつき
あかつき

たまにいるんですよね、ストイックを「自分を全否定することだ」と勘違いしてる人。

あれは自分を認めるからこそ自分に厳しくできるものです。そこを間違えると大怪我します

目標が定まってるからこそ「今だけは」と無理してスパートをかけられる。昔と比べて成長したと実感できるからこそそれをモチベーションにできる。自分に向いてる=伸びしろがあるのがわかるからこそ頑張ることに価値を見出せる

このことを忘れて成長しようと努力するのは、人の身では耐えられない地獄です。どうしてもその境地を目指す人は、心を完全に殺して修羅にでもならない限り地獄の道のスタートラインにすら立てません。

その場にいるのは、「今の自分」

未来がどうであれ、大事なのは今この瞬間の自分です。今この場にいる自分自身を見向きもしなければ、成長も何もあったものではありません。

自分が今、どういう立ち位置の人間を目指すのか。何ができるのか。昔と比べて何がどうなったのか。成長したいのであれば、これらを知るところから始めることをお勧めします。

無暗に成長を願ったりひたすら努力を積み重ねるのではなく、成長の意義や目的の明確化、そして今の自分がそれに対してどの位置にいるのかをしっかりと考えておきましょう。

正直言うのもアレですが……自分の才能や努力を認めない人が成長しようと躍起になったところで、最後まで自分の目的を達成できません。
自分の理想ばかりが先行して、自分を認められなくなったのではいずれ心が疲れ切って詰みます。

ただただストイックに自分を追い詰めてばかりではなく、しっかりと今の自分と今できる事を見据えるのも大事にしましょう。

いつでも主体となるのは、周りから求められている自分でも理想の自分でもありません。今この場の自分。それを忘れないようにしましょう。

人間、嫌でも意外と成長してます

ぶっちゃけ、成長とは目標でなく結果でしかありません。

自分が「こうなりたい」と願った結果変化した。必死で仕事を覚えていく過程でできることが増えていった。それだけです。

成長なんて大層な事のように言いますが、案外味気ないものですよ。

正直、わざわざ目標にして意識するような事でもないと個人的には思ってしまいます。望んだだけの進捗があるかないかは別として、頑張ってればそのうち勝手に成長してるものですからね。

昔の自分と色々比べてみてください。何かしらやれることが増えたり、仕事や作業の精度が上がっているものです。

人格面に関しても、案外変化は見えるものですよ。特に人格的な成長を目指している人なんかは、鷹揚さやストイックさが昔より顕著に増しているはずです。

このように、人は嫌でも成長します。

わざわざ目標にして「ここが足りない」「人と比べてこれができない」と頭を抱えず、時には「昔はこれが全然ダメだった」「なんかマシになってない?」と今の自分の成長具合にも目を向けてあげてください。

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ぶっちゃけ「今できる事の積み重ね」

最後に言いたいことを言って締めますが……成長なんて、正直目標にすべきじゃないです。

人間、言うほど頑丈に出来てません。無理をして筋トレに励んで疲労骨折する人も少なくありませんし、高いところから飛び降りると最悪死にます。

心も一緒で、無理して手の届かないところにジャンプしようとすると案外すぐにダメになります。負荷がかかりすぎると、どうしても精神疾患を患うリスクも大きくなりますしね。

それよりも地に足をつけ、ゆっくりお茶でもすすりながら、次に何を目指すか、そこに向かって等身大の自分に何ができるかをじっくり考えましょう。

そうやって一歩一歩地に足をつけて着実に踏み出し、地道に地固めしながら進む人生もいいものですよ。

一足飛びで結果を出すのが全てではありません。いいじゃないですか、大器晩成で。下手に無理なことをしたり先の見えない努力を繰り返すだけでなく、しっかり見えるところから固めていきましょう。

そうやって行くうちにふと昔を思い出したら、「あの時はダメダメだったなぁ」と笑える日も来るわけです。

コメント

  1. 永遠の夢追い人 より:

    あらら〜笑。とりあえず成長には、善悪という概念が存在しません。何事も学べる事はありますので、善人からも悪人からも、学ぶ姿勢を取ります。そして、成長を続ける理由ですが、楽をする為です。例えば、仕事では、高い効率性を目指して、最小限の労力で決まった給料を貰うようにします。金持ちになる理由は、毎日美味しい食べ物を、お腹いっぱい食べる為です。老後の事もあります。新しい技術を獲得する理由は、その技術で、自分の新しい可能性を開く為でしょうか。YouTuberになったりしても面白いですね。しかし、みんなに賞賛される?というのは、ちょっと理解できません。賞賛されたら、カレーでも奢ってくれるんですかね?まあ、そういうことです。

    • 春眠ねむむ しゅんみん より:

      永遠の夢追い人様

      うーん、こちらもしっかりと記事を読んでいただけていないのが少々残念なところです……。

      ともあれ、今回の記事は特に大きな理由もなく「成長をしなければならない」と切羽詰まっている人を多く見かけたため、「肩肘張らなくてもいいですよ」と声をかけることを目的としています。
      夢追い人様のようにしっかりと成長した先を見据えている方には、おそらく不要な情報だったかと。

      最後に、「みんなに称賛されるために成長しなさい」というニュアンスで捉えていらっしゃるように見えるのが少々心残りです。できれば、我慢して最後まで読んでからコメントいただけると、私としても大変助かります。