被害者に落ち度が無くても同情されるべき存在でも自分で動かなければならないたった1つの理由

世の中
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得るべきは正しい知識と自分の手札

話が逸れましたが……ともあれ、赤の他人が悪さによって被害を受けても、ほとんどの人は知ったこっちゃないわけです。

特に加害者にしてみれば、あなたに被害が及んでも構わないから故意に傷つけた以外の何でもありません。あなたの事なんてどうでもいいわけですよ。

それを明言したうえで……じゃあ次に、「自分で動くためにはどうすればいいか」を考えてみましょう。

答えは明白。起きたトラブルに対する正しい知識や対処法、そしてその中で自分に何ができるのか。これをきちんと知ることです。

昨今ではネットに情報が転がっています。使えそうな法的措置、何だか自分と類似した解決済みの事件、万一の時の緊急の措置などなど……その気になって探せば意外と使える情報はあるものです。

もっとも、昨今のネットは嘘っぱちの情報も多いですから、専門家や詳しい人に話を聞きに行くのもひとつの手。知識はやはり心強い武器になります。

ともあれ、使える手は使って、手が思い浮かばなきゃ情報収集。それからプロに相談するのが一番手っ取り早いですね。

困った時こそ、手札とできることを冷静に判別しましょう。そうすれば、意外と道はあったりします。

みんなから同情される道は困難

ネットを見てると、いろんな人から同情されて守られてる人がいますが……あれは天性の才能あってのものだと割り切ったほうがいいですね。

話題性のある被害(性被害とか)を訴えるか、時には話を盛ったり嘘っぱちの被害を訴えながらも、「守るべき弱者」と多くの人に思わせる。これが大衆の支持を取り付けるために一番必要な要素です。

多くの人は、守ることによってお手軽に「自分は正しい人間なんだ」と自己陶酔に浸れるような相手しか守りません。

その守るべき相手は有名であればあるほど、受けた被害が大きいほど都合がいいです。なぜなら、その方が大きなことをした気になれるから。

残念ながら、人は思った以上に怠惰ですよ。間違った事をした結果海老で鯛を釣れるなら、迷うことなくそっちを取ります。

本当に救うべき相手を救うよりは、救うことで名声になる相手やお手軽に救える相手を救う。残念ながら、みんな想像を超えて打算的ですよ。

自分が受けた被害の話題性や自分の影響力をよく考え、客観的に「いける」と思えないうちは大衆に助けを求めない方がいいでしょう。

自己責任論の跋扈ばっこする世界では、逆に潰されるリスクがあります。

自衛力はあるに越したことはない

結局のところ、どの環境を生きても弱者でしかないのは、最近ではいろんな悪人に狙われやすくなる短所と言ってもいい時代になってしまいました。

本当に悲しい事ですが、「守らなければならない弱者」というのは、今や声高に派手に自分の被害を訴える人、あるいは性的被害を訴えている若い女性――それも容姿に優れた人の特権のようになりつつあります。

無論、そういう影響力を持つ人たちが本当の意味で弱者であるわけがないのが世の常でして――要するに、本当に四方八方から付け狙われる弱者は守られません。

となれば、頼る相手のいない弱者が採用すべき手法は自己防衛です。周囲に余計な期待をせず、自分でやれることをやっていきましょう。これが、一番手っ取り早いですね。

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