【エニアグラム】性格と本質

エニアグラム

たまには書籍に忠実にやりましょう。

さて、今回追っていくのは、おそらくお読みになった方も多いであろうリソ&ハドソンによるエニアグラム基礎編。いわゆるリソ本というやつですね。

この本の基本情報の一角には、エニアグラムを学ぶ上で非常に重要な基礎知識の一つとして、「性格」および「本質」に関する記述があります。

ここ、かなり重要な項目のはずなのですが……当ブログ含め、そこまで深く……というかほぼ言及していないサイトが圧倒的多数です。

前置きはこのくらいにしておきましょう。エニアグラムにおける性格、そして本質とは何なのか。この辺をみんな大好きリソ本からガッツリ引用していってみましょう。

読み飛ばしてしまうのはある意味道理

この前提知識が、まずもって欠かすことができない要素です。

リソ本ではリソ及び和訳者の厨二病こだわりなのかあまり読ませたくないのか横文字や抽象的な言い回しが続きますが、書籍をすでにお持ちの方は頑張って読んでみてください。

さて、ではその抽象的な言い回しや横文字の連打がいかなるものなのか。「本質と性格」の項目の冒頭からそのまま引用してみましょう。

エニアグラムの中核にある真理は、「私たちは性格をはるかに超えた存在である」ということです。性格というものは、誰もがもつ大きな可能性のうち、なじみのある限定された部分にすぎません。私たち一人ひとりは、性格という限界を超え、「本質エッセンス」と呼ばれる、ほとんど認知されていない、大きな広がりの「存在ビイングあるいはプレゼンス(「今、ここ」に在ること)」として生きているのです。

新版エニアグラム基礎編 P52

はい、終始こんな調子ですね。

あかつき
あかつき

これが象徴物発祥の類型心理学の成れの果てです。スピリチュアルっぽい方向に向かっちゃうんですよね、完全に。というか体の半分がスピリチュアルでできています

大体の人は「グチグチうるせータイプを知りたいんだよ」となっているはずなので、どうでもよさげな前提知識をこんな言い回しで続けられると、どれだけ重要でも読み飛ばしてしまいます。

そこで、今回はバリバリに噛み砕いていきましょう。

性格と本質

まず前提知識として、性格と本質をざっくりと表しましょう。

性格成長過程で身についた「適応」。生まれ持った気質に関連しているが、基本的にその気質の一部を発達させ、トラブルや物事を切り抜けていくために会得したスタイル。
本質今、ここ。無為自然。何者にも傷つけられない本来の自分。性格とも連動するが、性格に固執することによって自分から切り離されていってしまう存在。
あかつき
あかつき

………………道教?タオなの?

まあ道教かどうかは知りません。どうでもいいです。

とりあえず前提知識として覚えておいていただきたいのは、本質は性格を超越したものであると。そして、性格によって縛られることで、エニアグラムにおける最終到達点である本質はどんどん離れていってしまいますよと。こういうことですね。

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エニアグラムにおける”性格”

当ブログではもっぱら「心のギプス」と称していますが、これはちょっと汚い言葉を覚えた3歳児がキャッキャキャッキャとその単語を連呼するように単語のみを抽出・引用したものにすぎません。

というわけで、まずはここから。

先述しましたが、エニアグラム心理学における性格とは、生きていく上で身につけた適応術のようなもの。

書籍から引用するとこうですね。

私たちの性格は、もって生まれた気質の力を借りて、子ども時代の傷を防衛し、埋め合わせます。子ども時代に遭遇した難事を切り抜けていくために、私たちは限定された対処方法(strategies)や自己イメージ、行動などを無意識に身につけました。それによって、子ども時代になんとか対処し、生存することが可能だったのです。

新版エニアグラム基礎編 P54

この文に続く形で、こうもありますね。

したがって、誰もが特定の対処方法の「専門家」となる一方で、それが過剰に使われると、性格の中でうまく機能しない中心部分にもなってしまうのです。

新版エニアグラム基礎編 P54

物事に万能、完璧は存在しません。問題Aに完璧に対応する術を身につけたとしても、それを全く異なる問題B、Cにまで適用しようとしても、どこかに綻びが出てくるでしょう。

極端な話、性格とは問題Aへの特化型対応手段というわけです。幼少期に特に大きな問題であった問題Aに対してどのように対処すればいいかを子供ながらに考え、手札を有効活用し実行した結果として、性格という問題A解決のエキスパートが誕生するのです。

で、この問題Aへの対処法を問題B、C、D……あらゆる問題に適用しようとしてしまうのが、性格という概念の悪癖です。

あかつき
あかつき

人間を昆虫かロボットのように言ってますねこの筆者

ちなみに当ブログでよく言っている「心のギプス」の引用元の文章はこのようになっています。

性格はギプスのようなもので、骨折した腕や脚を守ります。もとの傷がひどければひどいほど、ギプスは大きなものでなければなりません。もちろんギプスは、手足が癒え、その完全な機能を回復するために必要です。けれどもそれを外さないと、手足を使うことが非常に制限され、それ以上成長することができなくなります。

新版エニアグラム基礎編 P65

要するに、特定の問題や恐れ、欲求にばかり特化していると、そこばかりに意識が向いて苦しい思いをするばかり。今ここに自然でいられる本質を取り戻すためには、性格への固着・固執をどこまで緩やかなものにするかがカギとなるわけですね。

あと、一部の方を絶望させるようで申し訳ないですが……ギプスの表記から少し戻るとこんな記述もあります。

心理学では、成熟し、優れた人格の大人として機能するかどうかは。発達上必要な特定ニーズが、幼少期にどれだけよく満たされたかによってほぼ決まるとされています。適切に満たされなかったニーズは「欠落部分」となり、私たちは自らの本質としての全体的存在を体験しにくくなります。

新版エニアグラム基礎編 P64
あかつき
あかつき

頑張って人格者ぶってる弱者を絶望の淵に叩き落としていくStyle

要するに、ロクな環境で育たない人間は、大抵ロクな性格に育ちませんよと。

まあ「底意地悪い」とか「クズ」とかとは全く違うのですが、ただ、性格への固着度は幼少期に悲惨な環境で育てば育つほど高まっていきます。

というのも、差し迫った危機の大きさとシリアス度が違いますからね。適度なストレスと問題に囲まれて生きていれば、性格とはある程度距離を置いた関係を築けますが、地獄を生き抜いた者からすると、自分が執着して離れるにはなれなくなった性格は一蓮托生の相棒です。

要は「こうしたほうが生きやすい」と「こうしなきゃ死ぬ」の間に絶対的な隔たりがあるのと同じですね。クソみたいな幼少期を送った人間の性格に対するスタンスは断然後者です。

まあだからと言って諦める謂れはないし、何かを悟ればまた難易度も変わってくるのですが……人生ハードモードの道は、統合というゴールを目指すも険しそうです。

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根源的恐れと欲求

根源的恐れ、欲求。当然と言えば当然ですが、これらも性格を形成する大きな要因の一つです。

私たちは新生児として生まれてきたとき、人間として成熟するために満たす必要のある、生得的ニーズをもっていました。けれども当然ながら、最良の環境においてでさえ、親は私たちのすべてニーズを完全に満たすことができませんでした。どんなに善意であったとしても、ときに私たちのニーズーーとくに親自身において適切に満たされていないものーーに対応することが難しかったのです。

新版エニアグラム P58
あかつき
あかつき

不満が全くない環境に育ちたかったら、それこそ神様の子に生まれるくらいするしかないんじゃないですか?

書籍の例えをそのまま持ってきますが……極端な話、赤ちゃん的にどれだけ嬉しくてはしゃいでいても、親がうつ病でメンタルが死んでいては喜ぶに喜べません。こういう時に、赤ちゃんは2パターンの対処法を覚えます。

  • 喜び自体を抑圧する
  • 泣いたりして無理やり親に働きかける

まあどっちを選ぶかは赤ちゃんの気質にもよるのでしょうが……どちらを選んだところで、「喜ぶ」というポジティブな感情が親に拒絶されたことには変わりません。

この刷り込みと行動が将来の生き方や人間関係に繰り越され、性格へと変貌していくわけですね。

根源的恐れとは何か。言ってしまえば、この例えにおける「喜びの阻害」です。

ここでまた書籍に戻ってみましょう。

幼児期に満たされなかったニーズやその後の阻害の結果として、私たちは人生のきわめて早い時期に、自分の中の特定の重要な要素が欠落していると感じはじめます。そのため当然のことをながら、深い不安感が生まれます。そうした不安にどう対応するかは、本来の気質が決定する可能性が高いわけですが、その後確立する性格タイプが何であれ、私たちは最終的に、自分には何か根本的に間違っているところがあるという結論に達します。それを言葉では表現できないにしても、強い無意識の不安に駆られるのです。それが根元的恐れというものです。

新版エニアグラム P60

その流れで根源的欲求も見てみましょう。

その根元的恐れを補うために「根元的欲求」が生まれます。この欲求は、自分が機能しつづけるために、根元的恐れから身を守る方法です。自分自身に対し、「もし自分に〜(愛、安全、平和など)があれば、すべてはうまくいく」といい聞かせているようなものです。根元的欲求というのは、自分を問題のない状態にしてくれると思い込んでいるものであり、「自我エゴの計画(ego agenda)」といっていいかもしれません。なぜならそれは、自我が常に追い求めているものは何かを語っているからです。

新版エニアグラム P62

流れとしてはこうです。

幼少期のトラブル(ニーズの阻害、親からのネガティブメッセージ等)

強い不安感・不足感等(自分に足りないもの、なければ死ぬもの)

根源的恐れ

「足りないものを補えれば……」(多くは根源的恐れに対するカウンター)

足りない要素の理想化

根元的欲求

「人生の極めて早い段階で」なんて書かれている手前、根源的恐れも欲求も自覚できるものでもないでしょう。多くは当たり前すぎて失念しているか、「みんなそうに違いない」として逆に軽視しているかのどちらかです。

エニアグラムにおける性格は行動や傾向といった「結果」部分だけでなく、もっと深いところに意味を持っているといってもいいでしょう。

当ブログでも性格や恐れ、欲求の先にある”結果”ばかり書いている気もしますが、とりあえずこのあたりを意識して見てみると、何かしら見え方も違う……かも?

スーフィの逸話

本質に関しては、いろいろ解説するよりスーフィの話でもした方がいいかもしれませんね。「本質と性格」項の本当に直前のページ(P48,49)に書かれています。

実際、私も書籍全体を読んだ後にこれを読み返していろいろ納得しました。

というわけで、私もざっくりと書いてみましょう。

昔、とある錠前屋の男がいました。

ある時、この錠前屋は無実の罪で捕まってしまい、奥まった暗い牢獄に放り込まれてしまったのです。

彼が投獄されてからしばらく後、錠前屋の妻が王様の元を訪ね、「毎日5回、礼拝のための敷物だけでも差し入れできないか」と懇願します。この願いは無事王様に聞き入れられ、妻は錠前屋の夫に敷物を受け取り、毎日欠かさず礼拝を行うようになったのです。

さらにしばらく後、その男は脱獄を図り、その試みは無事に成功しました。

「なぜ脱獄できたのか」と人に聞かれ、その男は以下のように答えたのです。

実は敷物には牢にかけられた錠の型が密かに織り込まれており、そのことに気付いた時から、男は看守と親しくなり、「俺が脱獄できたらもっといい暮らしを送れるようになるはずだ」と説得。最終的に看守たちの説得に成功します。

というのも、看守たちもまた自分たちが暗い牢獄にいるとわかっており、逃げたいと思いつつも手段を思いつかなかったからです。

それから看守たちが金属の材料を錠前屋に持ってきて、錠前屋は金属を加工して市場に売り、その一部をこっそり溜め込んでいく生活が始まりました。

そうして手に入れた金属の中で一番頑丈なものを鍵にして、ある晩、錠前屋は看守たちと共に脱出。錠前屋は妻との再会を果たし、友人となった看守たちと共に仲良く幸せに暮らしましたとさ。

あかつき
あかつき

何が愛だ。何が機転だ。けっ

まー綺麗なお話ですよね。興味ないのもわかります。ですが、これはあくまで「エニアグラム心理学という分野を象徴する昔話」です。参考文献という意味合いで言えば、愛がどうとか機転がどうとかはどうでもいい話です。

この逸話の後、書籍ではこの逸話のキーワードを以下のように記していますね。

錠=性格
敷物=エニアグラム
鍵=フレームワーク

簡単に言えば、性格という錠がかけられた牢獄の中に我々がおり、エニアグラムはその錠の大まかな型を示していると。

で、我々がエニアグラムを通じて何をするのかというと、錠の型を知り、いつでも牢を出られる鍵を作ること。

また本質と性格の項に移りますが、こんなことも書かれていますね。

自分が性格そのものであると思っているときは、本来の自分にははるかに及ばないもので手を打っています。それはまるで、手入れの行き届いた庭がある大豪邸を与えられながら、地下の小さな暗い戸棚の中に閉じこもっているようなものです。私たちの大半は、その邸宅にはほかの空間が存在することを忘れています。自分こそが家主であることも。

新版エニアグラム P55

性格はなくなりませんし、捨てる必要はありません。これは書籍にもそう書いてありますし、私もそう思います。

ただ、よくないのは性格に囚われること

性格は悪ではありません。立派な得意分野、自分自身を形作る重要なアイデンティティでもありますし、これまで自分を守ってくれた相棒であることには変わりありません。

ただ、その性格は、あくまで自分の本質という広い存在のほんの一角に過ぎないと。これがエニアグラムにおける性格と本質の関連性ですね。

性格も本質もなくなるものではありませんし、絶対善や絶対悪の関係でもありません。

今の自分の在り方がどれだけ性格頼りになっているかに気付き、その先の本質を見て、やがて本質へと移っていくと。これがエニアグラムの目的地点です。

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まとめ

今回は、ちょっと初心に立ち返ってみました。

エニアグラム心理学をエンタメとしてかじるなら、こんなん死ぬほどどうでもいい話です。

ただ、もしエニアグラムを通じて自分を知り、より合った生き方を探していきたいと思うのであれば……タイプがどうとかウィング、本能、トライタイプがどうとか、そういう話と一緒に、こういう根本的な部分も見ていきたいですね。

最後に総括っぽいような文章を引用して、今回は終わりですね。長々とお付き合いいただきありがとうございました!

最初のうちは、発達過程で生じた「欠落部分」に取り組むのに、かなりの時間と労力を費やすかもしれません。けれども、私たちの存在の核はいつも支えてくれています。本当の意味で、私たちは自分自身になる機会を待っているのです。私たちのスピリットは、自由になり、自己表現し、生命力を取り戻し、本来の姿で世界にありたいと願っています。

新版エニアグラム P68
あかつき
あかつき

こういう胡散臭い書き回しが多いのも、エンタメにとどまっている層とスピリチュアル忌避の食わず嫌い層を生み出してる要因な気がするんですよねぇ……

筆者:春眠ねむむ
X :@nemukedesiniso
threads:@shunmin.nemui

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