賢くなるための読書で「ただ読むだけ」では100冊読破しても意味ないという話

自分の生き方
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読書が楽しいから本を読んでるって人は、まあ今回の趣旨とは明らかに違うので例外。

ですが、「頭が良くなるために本を読んでいる」という人には、ぜひ知っていただきたい。

ただ読むだけでは、意味ないですよ。

今回は、そんな話を色々とさせていただきましょう。

「月間〇〇冊読んだ」だけでは賢くならない

「読書なんて無意味だ」と思った方なら、1度は耳にされたことがあるかと思います。

「何冊読んだとか、そういうのは意味が無い」という言葉。

私もこの言葉にはほぼ同意ですね。言っては何ですが、武勇伝や自慢の1つにしかなりません。

「頭のいい人になりたい」「知識を得て何かやってみたい」という野心があっての読書ならば、ただ読むだけでは不十分。

残念ながら、月間100冊の本を斜め読みで読破するのと1冊しか読まない代わりにとことんその知識をものにしたのでは、ほぼ間違いなく後者の方が賢くなります。

あかつき
あかつき

数字は自慢のタネでしかないんですよ。使えない知識をため込んでドヤって、聞いてる側としては「で?」って感じです

肝心なのは、本を読んで得た知識を自分のものにすることです。「何のために本を読むのか」という目的を忘れないようにしましょう。

加工せず使える情報はほぼない

非常に残念なお話ですが……詳しいノウハウは書かれた書籍でもない限り、知識がそのまま書かれている通りの形で機能することはありません。

本に書かれている内容を本当に自分のものにしたいのならば、どこかでアレンジや内容への自分なりの注釈・寸評が必要になってきます。

例えば経営者は孫子などを好んで読むことも少なくありませんが……孫子なんて言ってしまえば兵法書。戦略や戦争のための知識書です。

私も何度か読んでいますが……「この地形の戦場ではこう戦え」とか「スパイの使い方はこうだ」とか、現在ではそのまま使う機会が無い知識が目白押しです。

正直に言いましょう。知識を咀嚼し使えるまで磨けないなら、8割は読む価値が無いです。平方書の知識なんて、そのままでは使い物になりません。

まあさすがに孫子は極端な例だと思いますが……別の本でもおおよそ似たような感じでしょう。そのまま使えない知識が大半のはずです。

あかつき
あかつき

「楽しいから読む」なら問題なし。というか全然いいことです。ですが、「自分を磨くために本を読む」というのでは意味が違ってきますね

知識は食材、それも肉やうなぎみたいな、まず加熱しなければ食べられないタイプの食材と一緒です。

知識も得てそのままにしておくのではなく、自分なりに解釈して自分好みに調理し、自己流で構わないのでちゃんと噛み砕いて理解しましょう。

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斜め読みはやりすぎ注意!

手っ取り早く読書をするために昨今られてる方法が、斜め読みというもの。

言ってしまえば、「目次や見出し、前書きやあとがきだけをまず読んで、中身を飛ばしながらキーワード等で本の主張を理解する手法」なのだそうな。

これをすれば、手っ取り早く「本を読んだ」という実績を得ることができます。何と言っても、全体の1割も読まずに読破できますからね。

実際、やればそれだけでも得られるものも無いとは言えないでしょう。

ですが、あくまでやりすぎ注意です。

確かに論文だったり何かしら著者の主張がある本ならば意味はあるでしょう。それに、結局読まず本棚の肥やしになるよりは、雑でもいいから読んだ方がいいのも道理。

ですが、当然斜め読みが通用しない書籍も数多くあります特に知識書や古文のような難しい本、初めて触れる分野の本なんかでこれをやってしまうと、理解できない部分も多く出てきてしまいます。

積読対策としては非常に有用な手段ですが、万能ではない事は頭に入れておきましょう。

細かい部分まで読み取ろうとするのも厳しい

さっさと読み終わってしまうのも場合によってはダメですが、1字1句全部を記憶するつもりで読むのも、それはそれで結構な苦行ですね。

「せっかくお金を出したんだから、細部まで全部読み通したい」という気持ちは共感できますが、あくまでもともとの目的を忘れないでください。

読書しようと思った動機は、おそらく「貯めになる知識を得る」こと。是が非でも元を取ることではないはずです。

知識は必ずしも役に立つものでは無ければ、どうしても人との相性もあります。どうにも合わないと思った本を最後まで読もうとするのはなかなかに苦痛を伴います。

読書とは、無理にでも本を読破することではありません。

「この本無理だ」と思えば逃げればいいし、「だいたいわかった」と思えば飛ばしてもいいでしょう。

いつかまた気になることがあればその時にまた同じ本を読めばいいわけですし、「わかった」といいつつ実はわかっていなければ、それが発覚した時に読み直せばいいだけです。

そもそも、本の内容を全て丸暗記するのは、それはそれで非効率というもの。あくまで覚えるべきは概略、つまり「結局何が言いたいのか」です。

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結局どう読めば知識は身につくの?

で、ここまで偉そうに読書感を披露してきた私儀ですが……ここで疑問に思われた方もいらっしゃるはず。「じゃあ貴様が考える本の読み方は何なのだ」と。

知識を置きものにしていても意味など無し。最後に、私がしている読書の心構えを、盛大にぶちまけていきましょう!

あくまで得るべきは知識という「概要」

まず何より意識すべきと感じているのは、知識や本の内容を概要化するということ。

知識は生のままでは役に立ちません。まずはそれが何なのか理解して自分なりに結論付けてみるのは、ある意味では分析力や頭のトレーニングともいえるかもしれません。

私は人間心理とかの本をよく読みますが……例として「Aというタイプの人はよくシャツを裏表逆に着てしまう」「またこのタイプは、靴を左右間違えて履いてしまうこともある」という内容が記載されていたとします。

この場合、「Aタイプの人はシャツを間違えて着るし靴も左右逆に履いてしまうんだな~」……で終わらせてはなりません。

彼らはどう考えてもおっちょこちょいです。往々にしてこういう人たちは先読みや洞察が得意な傾向がありますが、その代償として足元が見えてません。完全にお留守です。

もっと言いましょう。生活力無し。目先に集中する必要がある実務に関しても無能です。

何も今回上げた特徴がAというタイプの絶対的な正解ではありませんが……要するにこんな感じに、書かれてる内容を統合したり総括したりして、自分なりの概要を設けることが、得た知識を使いやすくするための下準備になります。

普遍の知識に正解無し!

選択肢じゃなくて答えが欲しい。即座に使える知識のほうが楽。レトルトのレンチン最高! ええ、わかります。

ですが、読書においてレンチンレベルのインスタントな知識は、あくまで小手先のノウハウにすぎません。

「ノウハウさえ知ってれば全部うまくいくじゃないか!」という方もいらっしゃるかと思いますが、残念ながらそれは普遍の知識ではありません。あくまでその時代のその業種に合った、本当に限られた期間でしか使えない短期的なドーピングでしかないのです。

小手先の技術では、結果こそすぐに出ます。ですが、それを長続きさせることができないんですよね。何と言っても、その場で通用するやり方しか書かれていないですから。

妄信は危険と判断すべし!

普遍の成功法則、不朽の知力、人生の万能な指針。そういうのは、本ではなく自分自身の中に見出さなければ効果を発揮しません。

当然、「自分向きだ」と思うノウハウはあるでしょう。取り入れてください。いくつかの参考書や専門書で同じような内容が書かれてることがあるでしょう。取り入れてください。

ですが、それらを絶対に正しいと妄信しないでください

ひとつを信仰してしまうと、他がすべて間違って見えます。「違う」と「間違ってる」を履き違えてしまうと、そこから先は「あの本と違う内容が書かれてるものは悪」という修羅の道です。

昔知り合いにアドラー心理学を妄信してる人がいまして……「課題の分離」を盾に人の善意を否定し、人からの助けの手を自ら拒否する極端な思想に走って自他を苦しめていたのが印象に残ってます。

もしその本のやり方が通用しなかった場合かなりの地獄を見ますので、くれぐれも読書はフラットな立場で行いましょう

アウトプットは自分の言葉で!

アウトプットは知識をものにする上で大事なことだと言われていますが、私も半分同意です。

しかし、あえて私はもうひとつ条件を加えましょう。ズバリ、「自分の言葉で伝える」というものです。

どれほど読書で得た知識が多くても、素材そのままでは使える場所は限定的です。また知識を自分のものにしても、自分ひとりの視点では磨くのに限界があります。

自分でまず形にして、アウトプットしてみせ、他者の意見も聞くことでより明確に知識を形作っていく。

自分と目の付け所が違う人も大勢いますし、仮に人からのレスポンスが無かったとしても、知識を披露するたびに新しい発見があったり、そもそも知識としても効率よく定着するものです。

知識を得るだけでなく外に出すのも、物にするうえで大事なことですよ。

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知識は置くだけでは意味が無い

本を読めばそれだけ賢くなった気がしますが、残念ながら読むだけでは悲しいことに不十分。知識も道具と一緒で、やはり自分で使ってこそ役に立つものです。

読書→自分なりの概要作成→アウトプット→さらに磨く

そうやってきちんと自分に取り回しがしやすいように改良してこそ、真の知恵や知識と言えるのではないでしょうか。

どれほど知識を得ていても、それに振り回されてはむしろ害。「読んだ」という実績だけを残して忘れてしまっては、底が抜けた器と一緒です。

せっかく知識を得るのです。自分なりに形にし、磨き、実際に使い、そうやって自分なりの完成形を目指していきましょう!

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