明確な夢や目標が無いことは悪い事なんでしょうか?

世の中
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一時期、夢や目標が猛烈にプッシュされてて熱い時期がありましたよね。

その名残か、今では逆に「夢なんて追ってるのはダサい奴ばっかだ」みたいな意見も多々聞きますが……それでも、まだまだ「夢も目標も持ってる方が人として格上」みたいな考え方が圧倒的に多数派です。

ですが、本当に夢や目標が無いのはダメなんでしょうか?

今回は、そんな夢と目標について思うところを述べていこうと思います。

ちなみに筆者は夢追い人の類です

部外者面して所感をどうこう語ることもできますが……それではなんか無味乾燥な気がして面白くないですよね。

というわけで、まずはアレコレ言う前に、私が夢や目標に対してどういうスタンスの人間かを明確にしておきましょう。

私は、夢追い人か特に夢が無い人かで言うと、圧倒的に前者です。やりたいことも明確に「こう生きたい」という指針もありますし、それに従って身の振り方や生活圏を変えていく途上にあります。

人からも「立派な目標だね」と称賛されたり「お前じゃ無理(笑)」と軽蔑されたりしているのを考えると、やっぱりそういう類の人間なんでしょう。

もっとも、それを夢だの目標だのと大層な事だと考えていません。ただやりたいからやってるだけ。世間が言う夢だの目標だのといった括りなら、それこそ「将来年収1億」とか言ってる人のほうがまだその条件を満たしているでしょうね。

私個人はただ「こう生きたい」という指針に従ってるだけなのですが……まあそれを夢や目標と言うならそうなのでしょう。そんな感じのユルい人間です。

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で、夢って必須なの?

で、そんな感じの激ユル夢追い人から見て、「で、夢とか目標は必要なの?」「人生の指針は必要なの?」という話をしていきますが……まず結論から言うとノーです。

ぶっちゃけ、そんなもんどっちでもいいです。夢を持って主体的にやっていくのが幸せならそうすればいいし、流されるままに生きるのが好きならそうすればいい。正直、そこに善悪も優劣も感じません。

流されるままに生きる人たちにとっては夢追い人がいなくては道を見失い困惑しますが、逆に夢追い人も支援者無しでは野垂れ死ぬのを待つばかりです。

世の中の仕組みからしても、どっちも大事。人類全体が片方だけになってしまうと、その瞬間から色々無理が生じてしまうでしょう。

社会全体でなく個人の生き方に焦点を当てても……それが楽しいかどうかはともかく、夢も目標も向上心もない方が生きるのは楽なんですよね。

極端な話、生き方に効率を求めるなら夢も目標も邪魔です。それがあるだけで、プライベートは少なからず犠牲になります。

夢を追うのは、他の人がお洒落や遊びを捨てもやりたいくらいの目標が自然にできた時にすべきです。

向上心が無いのは罪悪なのか?

で、この夢だとか目標だとかを「素晴らしいことだ」と言われる一番の原因ともいえるのが、おそらく向上心というやつの存在でしょう。

で、この向上心というやつは、あったほうがいいのか無い方がいいのか。

多くの人は「何事も向上心を持って取り組むのが最低限の心構えだ」みたいに自他を厳しく縛って生きてますが……私はハッキリ言ってどっちでもいいと思ってます。

というか、やる気が出るような状況なら向上心なんて勝手に湧いてきます。

仕事においての向上心が無い奴はクズだとされてますが、よくよく考えると、向上心=やる気が出るような環境ややる気の種が無いのなら、そもそも人は何事にも本気になれません。

多分「仕事はやる気が起きないけどゲームならいくらでも上手くなる」みたいな人は結構いますよね。夢や目標というのは、いわばこの場合のゲームに代わる何かであるべきです。

私もやりたい生き方と無関係なことに対して「人として大事なことだから目先に集中しろ!」とか言われても、まあ無理でしょうね。どこかでぽっきり折れます。

そもそもですよ。やる気や向上心って、自分で意識しないと出てこないものなんでしょうか?

誰も褒めない、頑張っても報酬はない。おまけに特別好きなことでもないし、自分の努力を馬鹿にするかのように育ちがいいだけの人間が自分の成果以上の称賛を得ている。この状況で不屈の闘志を燃やせる人がいれば、それこそそっちの方がヤバい人です。

私はどうしても、「向上心の無い奴は終わってる」みたいな考え方には首を傾げたくなってしまいます。自力と気合で無理矢理ひねり出せる向上心ややる気の上限値なんてたかが知れてます。

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無理に作った夢は危険な産物

中には、「それでも夢が無いとヤバいんだ!」と、かなり無理やり気味に自分の将来の夢を作る人がいます。

しかし、個人的には「何もないところから無理矢理ひねり出す夢や向上心ほど危険なものはない」気がしてなりません。

というのも、夢も目標も向上心も、1度持ってしまったら基本それしか見えません。視野が一気に狭くなります。

ブラック企業のやり口としても有名ですね。夢や希望を新入社員に書かせて、「うちならそれが叶えられる」風な顔をして、熱血指導を演じて仕事以外の事をすべて捨てさせ、あれこれ理由をつけて必要経費として給与を天引きしていく手法。

名ばかりの管理職や「独立支援」を謳ったセミナーなんかを用意していくうちに、どれだけ適当に決めた夢や目標であっても、余裕が無く思考力が奪われていくうちに「これが本当に求めていた夢なんだ」と思考停止で錯覚し、よりドツボにはまっていく……。

何が言いたいかというと、搾取の対象にされても全然気づけないわけですね。

夢も目標も、無ければそのまま死に直結するものではありません。むしろ誰かに扇動されるがままに安易に決めても、結局後から「こんな自分になりたかったのか?」と後悔するか壊れてしまうか、あるいは生活がままならなくなるのがオチです。

無理に夢を持つ必要はない

何だかんだ言いましたが、私は夢を追うことを否定はしません。実際、夢があれば生きがいができます。生きがいができれば、それだけ人生に張り合いが出てきます。

むしろやりたいことや夢があるなら、それが本気で苦しく辛いばかりのものでもない限り持ち続けるほうが後悔無く生きられます。

ただ、あくまで夢や理想は自分の手でしっかり厳選して探してください。何となく雰囲気にあてられたり人に触発されて考えもせず追う夢は、まあ9割方どこかで苦しみに変わります。

もし「死んでもこれがやりたい!」くらいのものが無い場合……一旦夢を持つのは諦める方がいいかもしれませんね。

ゆっくり待ちましょう。面白いものや興味があることに触れていたら、そのうち夢も目標も生えてきます。

いちばん大事なのは夢や目標そのものではなく、それらが勝手に生えてくる土壌。やる気と熱意をくれる環境です。

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何だかんだほとんどの人に夢なんてないよね

世の中には、夢追い人に対して「夢を追うのもわかるけど現実を見ていい加減諦めよう」という人が大勢いますよね。

なんというか、まるで「俺も夢くらいは持ってたけど、今の俺は夢の次のステージに立った格上の人間だ」みたいに言いたげなセリフ。これだけ聞くと、世の中の人のほとんどは夢を持っていたかのように感じてしまいます。

ですが、安心してください。そういう人間、まずもって夢らしい夢なんて持ったことが無いです。

せいぜい、数瞬「お金持ちになりたいなぁ」とか「東京ドームでライブしたいなぁ」とか思ったくらいのものでしょう。実際に追ってた時期もあるかもしれませんが、その多くはいわば現実から目を背けるための都合のいい口実として追っていただけの物ばかり。

結局多くの人は「夢くらいは持っていたことがある」みたいな顔をしますが、実際に夢を追っていた人間はごく一握りにも満たないはず。それだけ、真剣に追いたくなる夢や理想は探しづらいものなのです。

夢が無いことを恥じないでください。その先に待つのは、数瞬の白昼夢を夢と言い張り、夢追いを迷惑してもないのに感情的に否定する人間です。

正直、夢の有無なんてしょーもない事よりも、人を見下してマウントを取らなければアイデンティティを守れない方がよっぽど人としてダメな事です。

夢の有無に人の価値はない

まとめると、人の貴賤を夢や目標で語るのは無理という事です。

夢を追うと聞くとキラキラ輝いて見えるかもしれませんが、実際のところはかなり泥臭いですよ。まかり間違っても、高貴な輝きを発するような宝石じみたものでもありません。夢追い人の多くは路傍の石です。

結局1番恥ずかしいのは、夢を持たない事や夢を追う事そのものを馬鹿にしたり見下す行いなんですよね。
それをしない限り、夢の有無なんてのは本人の心の中だけで決着がつく些末な問題です。

世の中にはキラキラと輝きながら夢を語る人も夢を馬鹿にする人も数多くいますが……その多くは夢に陶酔するか惨めな自分を慰めるために夢を見下してるかです。

夢を持たない自分を恥じないでください。仮にこの先夢を持ったとしてもそれに陶酔しきらないでください。

私から現状言えるのは、その2点です。

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