コーチング資格、タイプ分類……いろいろ見てきました……。というわけでどうも、春眠ねむむです。
自分を知ることに関しては、どこもかなり肯定的ですね。「知ることで自身を活かせる道が見えてくる」「自己肯定感向上につながる」など、非常に魅力的なことが書かれています。
これら、実のところ正解です。実際に自分を知ることでどう生きるべきか・どうすればいいのかが明確化されますし、自分にできることを知って自己肯定感を高めていくこともできるでしょう。
ですが、物事はそう単純ではありません。中には、自分を知っていくことによって発生するデメリットも存在しています。
今回は、メリット、デメリットの両方を考え、その上で自分を知るのか知らずにおくのかを考えておこうという趣旨ですね。
自分を知るメリット
長くなってしまった前置きをこれ以上長くすることもないでしょう。というわけで、まずは自分を知る上でのメリットから考えていきましょう。
とか言って、一瞬「自分を知るとは」みたいなお題目で説法(笑)始めようとしていたのを見逃してませんからね、私は
自分の得手不得手を知ることができる
人間誰しも、得手不得手は存在しています。その中でも得意を知ることは、間違いなく人生に大きな恩恵をもたらしてくれることでしょう。
特にこれは、どう生きていいかわからない人に対して強く言えることですね。
自分を知ることで何を得意としているかを知り、得意を知ることで生き方を知り、生き方を知ることで今すべきことを知る。
自分という存在を知ることによって、迷走気味だった目標が一気に見えてくることも少なくありません。
自分のダメさを嫌というほど味わってきた人の生き方は、特に得意をどこまで熟知するかが重要です。
人生は得意を主軸に展開する。これが、自己効力感を上げる最も効率的な生き方です。
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身を置くべき環境がわかる
能力、属性、人間関係……。さまざまなことにおいて、向き不向きは存在しています。
例えば生粋の陰キャがパリピ集団に身を置いても、ワイワイやりたいパリピが黙々と作業を進めるような仕事に就いても、自分も周りもいい思いはできません。
幸せになるには、自分の身に合った場所選びは必須。自分に合った場所を選ぶのには、まず自分を理解するのは有用。
合わない場所に身を置いていれば誰だって浮きますし、誰だって無能の烙印を押されかねません。
その人にはその人に、自分には自分に合った環境と合わない環境があります。
自分がわからないままでいれば、まったく合わない環境に身を置くことによる弊害を回避できるかもしれません。
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自分を客観視できる
「今自分は怒ってるんだな」とか「悲しんでるんだな」などと、自分の気持ちを性格に理解するのは実はかなり困難なことです。
例えば怒りは「真っ当なことを言っているだけだ」と正当化できてしまいますし、悲しみはよほど大きなものでなければ怒りとして換算されてしまいます。
「自分を理解してもらえなくて悲しい」「自分の思い通りにならない奴がいて怒っている」と。こういう幼稚で身勝手な感情は誰しもが持ち合わせているものです。
こういう感情を理解することで自分の外殻を知り、自分が他人にどうしてほしいのか、何が欲しいのかを性格に理解することができます。
いわゆるニーズというやつですね。
……何でこの一言で言い表さなかったんだろう?
人生の基本方針が決まる
これはニーズと得意の延長線ですが……自分が何をしたいのか、何ができるのかを知れば、自然と人生を通して自分がしたいことが見えてきます。
これは自分の人生の目標となり、生きる糧となります。
もしかしたらそれはたいそうなものではないかもしれませんが、そこは重要ではありません。あくまで「自分がどうしたいのか」をしっかりと把握することが大切です。
この「どうしたい」を軸に動けば、人生はある程度は満たされたものになるはずです。
自分の人生に花を添える意味でも、自己理解は大いに役に立つでしょう。
自分を知るデメリット
さて、メリットだけを語るのは簡単です。続けて、自分を知ることのデメリットも見ていきたいと思います。
自分がわからなくなる
何事も極めれば極めるだけわからなくなるように、自分自身も解像度が上がれば上がるほど何者なのかがわからなくなります。
自分の性格を知った。ニーズも知った。でも、それらはもしかすると偽物かもしれない。
こうなってくると、もはや迷宮の中ですね。自分のニーズを「何か違う」と否定したくなることは、自己理解を重ねる中ではよくあることです。
ニーズが見えてくる→見えてきたニーズを否定→新しいニーズが見えてくる
この繰り返しの中で、自分自身の輪郭すらもぼやけてきてしまうのです。
考えるだけになってしまう
自分を知ろうとするだけでは、実際的な行動には移れません。先述の通りニーズや感情・性格の発見、否定の繰り返しでキリがないからです。
もしも自己理解の沼に嵌ってしまっては、「自分はこうかもしれない」「もしかしたらあんな人かもしれない」と色々考えてしまうため、結果として自分自身の生の感情やシンプルな欲求を発見できなくなってしまうこともあるかもしれません。
……これ自己理解のデメリットじゃなくて「知ろうするデメリット」じゃね?
自分を完璧に知りつくすことは不可能に近いです。やりすぎには注意が必要ですね。
精神的に結構キツい
実のところ、自分を深く知ることは精神衛生上あまりいいとは言えません。というのも、自分の見たくなかった一面を知ることにもつながってしまうから。
例えば「自分は他人を押し除けてでも承認欲求を満たしたい小物だ」とか「本当に欲しかったものからはどんどん遠ざかっていた」とか「実はサイコパスだった」とか、いったい誰が知りたいと思うのでしょうか?
自分を知るうちに、自然と自分の闇にも目を向けることにもなってきます。
「その闇に耐えられますか?」と言われて本当に耐えられる人は、いったい何人いるのか……正直、かなり少ないと思います。
自分というキャラクターを見てしまう
最後に最も重要なことを。
人はどうしても先入観をもとにした情報や都合のいい情報ばかりを信じてしまいます。これは、どんな人であっても避けられない傾向でしょう。
認知バイアスって言葉もありますね。自分にとって楽な情報処理を行うって感じです。先入観とか固定観念で物事を見るってことですね
私がよく見る例はこれです。
憧れる人物像との共通点を自分の中に見出し、その憧れになりきることで「自分はこういう人なんだ」と知った気持ちになる。
こうなってしまえば、もはや「自分を知るとは何だったのか」と言わざるをえません。自己理解のつもりが、より目が曇ってしまいます。
得意なことも自分の感情もニーズも、また自分が進むべき道でさえ、憧れの人物像のそれに塗り替えられてしまいます。
完全に憧れの人物像と一体化してしまえば、あとは不慣れなことをできているつもりになるか、理想と現実のギャップで苦しむかの二択でしょう。
幸い(?)私の周りには前者が多いですが、どっちにしろ自分の人生に悪影響であることには変わりありません。
まとめ
今回はエニアグラムや16タイプを中心に解説している人間の立場として、自己理解のメリットとデメリットをまとめさせていただきました。
正直、自分を知るというのはかなり難しいですね。知ろうとすればするほどわからなくなりますし、私自身もどこまで自己理解が進んでいるのかわからないままです。
とはいえ、何事もやりすぎは毒になります。特に自己理解の中で自分というキャラクターを見出してしまえば人生も不思議と生きづらい方向に向かっていきます。
適度な自己理解と適度な行動。この繰り返しが理想ですね。実験なくして本当に自分を知ることは難しいです。
憧れへのなりきりは自己理解が中途半端で止まっている人が多い気がしますけどねー。
「自分は憧れのあの人なんだ!」であえて自己理解を止めているというか、あとは実証とやらを繰り返しているだけというか……
ともあれ、自分を知ることは難しいという話です。そして、本当に自分の全てを理解することはできないでしょう。
そのことをしっかり視野に入れつつ、変な見方をせずフラットな姿勢で適切適度な自己理解に努めていきたいですね!
最後に
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