「INFP 偽善者」。こんなワードを見つけました。
これを至極単純に読み解くと、「INFPは偽善者」となるのは明白ですね。
今回は、そこのところについての雑感。好き勝手垂れ流していきますので、どうかお付き合いください。
INFPが偽善者と言われる理由
まず、INFPが偽善者呼ばわりされる理由について考えてみましょう。
とりあえず私の頭で考えられるのは、以下の3パターン。
- 純粋な善意を勘違いされている
- そもそもタイプミス
- たまたま目の前にいる偽善者のタイプがINFPだった
こんな感じか。
最後のは簡単ですね。多かれ少なかれ、どのタイプにも偽善者は存在します。MBTIであれ16タイプ論であれ、INFPの中に一定数偽善者が紛れているのは否定しようがありません。
というわけで、3の択は捨ておきましょう。考えるだけ無駄です。
少しだけ焦点が定まってきました。今回考えるべきは上二つ。善意の勘違いやタイプミスに関してですね。
長話も何でしょう。とりあえず始めていきましょう。
偽善者の定義
始めると言った手前、直後に前置きその2を展開して申し訳ありません。
話をする上で重要であろう偽善者の定義について、まずは軽くすり合わせておきましょう。
人間、よほど我欲に正直な悪党でもなければ「偽善者」と呼ばれるリスクはついて回ります。
優先席で妊婦やお年寄りに優先席を譲るのも偽善。見ていられなくて人を手伝うのも偽善。純粋に目の前にいる人を救いたくて手を差し伸べるのも偽善。
どのような善意であれ、見る人と見ようによっては偽善です。純粋に人を助けたくて助けたところで、ひねくれた人からすると偽善以外の何物でもないでしょう。
人によって定義が異なる偽善をすべて拾い上げてしまえば、この世には悪と偽善とどうでもいいことの3通りしか存在しなくなってしまいます。
そこで多分一般的な価値観を用い、今回はこう定義しましょう。
利己主義的な目的が裏にあって、その上で善行を行う人
本当、これくらいしないと全部が偽善になるのです。というかこれでも曖昧なくらいです。
めんどくさい前置きになりましたが、以上が今回語る偽善者の定義です。
INFPの善性と偽善
さて、やっと本編。まずはINFPのやる善行が偽善と呼ばれる理由について簡単に考えておきましょう。
私がINFPについて考えたり見たりして気付いたのは、以下の傾向。
- 善行と働く時と働かない時の差が激しい
- 気に入った相手にはどこまでも善属性
- 気に入らない相手は無視か、不健全な人は平気で潰す
一言で言えば、善悪の二面性が強烈というわけです。気に入った相手にはどこまでも尽くす一方、そうでもない相手はしれっと無視。困っていてもさして興味を示しませんし、性格がアレになるとこれ好機とばかりに追撃します。
要するに、INFPの気分と好意次第というわけですね。あまりに機嫌が悪い時は人を見捨てますし、気分がよければ気前よく人を助けることもあります。
この極端な二面性が、腹黒な偽善者という印象を与えます。
嫌いな相手や気分が乗らない時の冷酷さを知っていれば知るほど、当人に理解を示さない人たちはINFPを偽善者と見なすかもしれません。

日頃の行いって大事ですね。
……なぜ私を見てるんです?
静かな水のような人
見出しは、ユングがINFP(というかFi)を指して述べた言葉の意訳です。
要は、控えめで物静か。悪い言い方をすると、何を考えているのかわからない人です。
印象とは不思議なもので、静かで控えめな人物でいればいるほど、ふとした仕草では腹黒認定されてしまいます。
そこに、上記の「人と状況を選んで善行を働く」という属性が加わるわけですね。
結果として与える印象は、「腹に一物抱えて謎の人助けを働く人」。外部からだと人助けの基準が今ひとつわかりにくいため、一部の理解者以外は「実は何かの勘定が働いて人助けをしているのでは……」と疑ってしまうのです。
実際は好き嫌いで選んでいるだけで何も考えていないものですが……それでも、偽善と言われるのは仕方ないのかもしれません。
定義外の偽善
定義を決めた手前アレですが、定義の外にある偽善も当てはめてみましょう。
ここまで明白に考える人がどれだけいるかはわかりませんが、こう考える人も多いのではないでしょうか。
「真の善とは博愛である」
博愛、つまり分け隔てない愛情と善性以外はすべて偽物。いわゆる偽善。
この定義の則ると、好きな相手にとことん肩入れするINFPの善は偽善となってしまいます。
INFPを博愛主義者と語っているところは多いですが、実際のINFPを見てみるとそうでもありません。
確かに異なる価値観を認めている人は多いです。ですが、その多くは存在を認めているだけ。尊重するに至るには、わりかし高度な精神性を必要とするようです。
自分と異なる価値観を否定し、自分の価値観に合致する人だけを守る。こう考えると、「偽善だ!」と言いたくなる人も少数ではないのではないでしょうか?
ミスタイプの可能性
本来はあまり言うべきではないのかもしれませんが……タイプミスについても考えてみましょう。
とりあえず、INFPの偽善要素は以上の通り。
一方、(どのタイプにも言えることですが)可能性の一つとして「別のタイプの人がタイプミスで名乗っている」という可能性です。
特に多いのが、「Fe民(特にISFJ)が名乗っている」というケースなのかなと。
とりあえず、INFPの世間一般像とFeの共通点を恣意的に挙げてみましょう。
- 人の痛みに敏感
- 人助けをよくする
- 感情の起伏
- 繊細で感受性豊か

うーんこのINFP像を捉えているようで外れているような絶妙な……
まず、人の痛みを敏感に察知する共感力。これは完全にFeの領分です。
「相手と同じ気持ちになる」。これはユング心理学におけるFeの解説の意訳です。要するに、相手と気持ちをリンクさせるわけですね。
で、INFP。彼らの主機能はFi、つまり個人的な感情や信念であって、共感ではありません。
人が苦しむ姿を見ても、「苦しそうにしている」「自分があの立場なら苦しいはずだ」という旨の共感まではできても、自分まで苦しくなることは基本ないと考えるのが妥当なのではないでしょうか?
そう考えると、Feの領分である痛みや苦しみの共鳴は、基本的にINFPが持つことがない感覚。よしんばあったとしても、表機能にFeを持つ人たちには及ばない。こういう考え方ができます。
とすれば、人助けもそうですね。先述の通り、INFPは人助けを旨とするのではなく、気に入った人や見ていられないと思った相手を助けるのにとどめます。
感情の起伏。そんなもの誰でも存在します。ヒスる人はそれこそT型でもヒスってますし、むしろFiはあまり感情を表に出さないという記述まであるので、これも間違い。
繊細さもそうですね。T型でも繊細さんはいます。感受性にしたって、F型が平均的に突出しているとはいえ、先述の通り人の痛みに共鳴するのは多くの場合Fe民です。
このように、普通にタイプミスがあり得るのがこの手の心理学の怖いところです。
偽善者との関連性
肝心なのは、そのINFPを名乗っているFe民がなぜ偽善者なのかという点ですね。
Fe民は、どこかに博愛主義的な一面を持っています。この博愛主義が、見る人によっては非常に胡散臭く思えるわけですね。
特にTJ型とか本物のINFPとか本物のINFPとか本物のINFPとか。
実際はそれだけではありませんが……価値観の辞書に博愛の二文字を持たない人からすると、博愛ほど裏がありそうで胡散臭いものもありません。
この博愛主義とFe特有の「わかるよ(ガチ)」とか「自分事のように感じる(ガチ)」の意味がわからず、裏を深読みする。その結果として出来上がるのが以下の結論。
「あいつは博愛主義的で無駄にわかるよ連呼しているINFPだから、INFPは裏があるに違いない。偽善者だ」
実際は善意をゴミだと勘違いしている邪気眼使いが善を全て偽善呼ばわりしているケースが多いように感じますが……次点はこれなのかなと。
まとめ
INFPの善意は裏がありませんが、時として腹黒認定されてもおかしくないような明確な区別をつけることがあります。これが時として、偽善者という評価につながることになるわけですね。
一方、タイプミスの可能性も否定できません。
世間一般のINFP像とFe民は困っている人に手を差し伸べがちなので、ここは混同しやすい点。そして、そんな人助けを積極的に行う姿は、時としてないはずの裏を想起させます。
このように、結局何をやっても偽善と捉えられかねないわけですね。見る人によっては全部偽善です。
正直ミスタイプについて語る項目はいらない気もしますが……これも雑感の醍醐味ということで。
さて、今回はここまでにしておきましょう。これ以外にも色々と好き勝手語っていますので、興味がおありでしたらもう少しお付き合いいただければと。
INFPについて私なりにガチってみた記事も用意がございます。お金を出してもお釣りが来るような話題を目指して書き上げましたので、興味がおありでしたらそちらもご覧いただけますと幸いです!
筆者:春眠ねむむ
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